ブログを引っ越します。
ココログから、ライブドアへ引っ越します。
引越し先は、こちらです。
別にここを消すわけじゃないけど、
もうエントリーはしません、多分(^^;
ちょっと思いついた(^^;
「たかが野球、されど野球」とか、
「たかがツイッター、されどツイッター」とか言うように、
同じ言葉を、「たかが」と「されど」をつけて
繰り返すと、なんか名言ぽく聞こえねぇか(笑)?
名づけて「たかされ」フォーマット。
単語を送ると、「たかされ」フォーマットでつぶやいてくれる、
名言botなんて、どうかな(笑)。
柔軟運動とストレッチはどう違うのか?
あまりよく考えたことはなかった。
Yahoo!知恵袋によると、
柔軟運動は、
・非常に短時間
・弾みをつけ、過度な押さえつけや痛みをこらえてするもの
・区切りがある
ストレッチは、
・長い時間伸展
・弾みをつけたりせずに、痛みや押さえつけには特に注意を払う
・区切りがない
という違いがあるらしい。
わたしの経験からすると、
柔軟運動は、例えば、
伸ばした足に上半身をくっつけていく前屈なんかは、
1週間も続ければ、それなりに効果があるのが分かる。
身体の稼動域が広がるのだ。
つまり身体がより動くようになる。
例えば、無駄のない動き。
それもたくさんある動きの一つだ。
たくさんの動きをするには余裕がないとね。
その余裕を作り出すのが柔軟だと思う。
つまり動きの選択肢を増やすのに役立つのが柔軟。
ただ、柔軟では心は柔軟にはならないようで。
ディスカヴァー・トゥエンティワン取締役社長干場さんのtweetより。
リーダーシップというと
「俺について来い」とか
「率先垂範」的なことを
真っ先に思い描くことが多いですよね。
でも、このレスポンシビリティ。
「反応」ってやつなんですけど、
依頼や質問といった、
直接表れることに対する反応もあれば、
やばげな雰囲気とか、
何かいつもと様子が違うといった、
「気配」に気づくというのも反応。
そしてその気づきに対して、
「気づいたよ」って言ってあげるだけでも違うかも。
なんだか、『静かなリーダーシップ』という名著を
思い出してしまいました。
って、未読なんですけどね(^^;。
今読んでる向井万起男さんの『謎の1セント硬貨』に、
アメリカの高速道路事情が出てきます。
そこで、ちょっと疑問に思いました。
こういうとき、今は、すぐTwitterにつぶやきます。
こんなふうに。
「高速1000円って、一旦高速降りてまた乗っても、
最初の1000円だけでいいの?」
すると、すぐ回答がありました。
「乗って下りるまで千円。
下りてからもう一度乗ったらまた千円かかるよ」
こりゃ渋滞するわな(^^;。
千円と安くなったからせっかく乗った高速、
そんな簡単には降りれませんっ、てことですか。
だとすると、
無料化したら、
降りちゃえばいいんですよね?
込んで来たら一旦一般道に降りて、
また折を見て、高速に乗る。
少なくともそういう選択が、
今よりずっとしやすくなる気が。
高速道路は高速道路、
一般道は一般道、
じゃなくって、
相互作用というか、
もっと結びつきが強まるような。
今の入り口出口の関係だけじゃなく。
例えば、よく渋滞する付近の近くの出入り口を
降りた一般道の周辺には、
高速から降りてくる人目当てのお店が出来たりとか。
どんなもんでしょ?
まぁ、免許も持ってないオヤジの戯言ですけど(^^;
やっと一本に統一しましたよ!
TwitterFox、Tween、Tweetie、TwitterFon、NatsuLion for iPhoneなど、
いろいろとTwitterクライアントを試してきましたが、
ここに来て、家のPC、会社のPC、そしてiPhone、
すべてにTweetDeckを導入しました。
これで決まりです!(しばらくは
)
どこに惚れたか。
まず、デザインが、Cooool です!
デフォルトからして、かっこいいです。
一番の特徴が、グループを作って、
別のカラムとしてTLを見る機能です。
これのいいのは、
流量が多いときなんかは、
今忙しいんで、
このカラムだけささっと読んで他は後回しとかが、
とても簡単に出来るところですね。
わたしのカラム分けは、左から、
・ALL Friends(これはデフォであります):全Follow
・Friends:基本的に相互にFollowしあってる人たち
・Fan:有名人系
・Inside:サービス系、hatebuとかasahiとか。
・Foreign:外国系、今はCNNだけ。
・Mention:自分宛
・DM:直接自分宛
大体、左から流量の多い順になってますね。
未読既読の管理がしっかりしてることも、
この手の閲覧系ソフトとして、
基本が押さえられててグッドです!
結構たくさんフォローしてて、
流量が多いんだけど、
でも、読みたいのは読みたいよー、
なんて人にはおすすめですよ![]()
今日は今話題のTwitterの簡単な
増やし方を紹介します。
用意するのは、Twitter1本だけ。
それも鮮度は問いません。
まずは下ごしらえ。
といっても、Twitterのしっぽの部分(terのあたり)を
切り落とすだけ。
すると残った方がピクピク動き出します。
そこはサクッとスルーして、
縦に並べて、包丁を縦半分に入れます。
ここで、レンジターイム(RT(笑))!
縦半分に切ったものを、
レンジに入れて1分チン!
するとあら不思議。
半分に切った部分が元に戻ってます。
これで2本のTwitが手に入りました。
レンジから取り出し、
あら熱を冷ましていくうちに、
切り落としたしっぽも元通り。
コツとしては、
鮮度によって、レンジタイムを調整することですね。
活きのいいのになると、
レンジに入れなくてもいいほどですよ!
さ、あなたも、Let's twit!
生まれて初めて整体に行ってきました。
最近ジョギングを始めたのはいいんですが、
昨日あたりから、腰が痛み始めました。
また、少し腰をひねると背中の右側にも、
痛みが走るようになり、
これはちょっとやばい、と思いました。
で、近所でどこかないかと探したところ、
歩いて5分ほどのところの、
「くらまえ鍼灸整骨院」に行ってきました。
(クリックで拡大)

問診票を書いてすぐに診てもらいます。
背中と腰の痛みを説明した後、
捻ったり前屈みになったり、
いろいろと体を動かしながら、痛みの程度を見ます。
台にうつ伏せになって、背中や腰を、
揉み解していきます。
かなりパンパンに張ってると言われました
。
いやぁ、自覚なかったです。
「張る」という感覚がよくわからんのですわ。
で、放っておいたところ、
とうとう痛みとして出てきたようです。
電気をかけた後、更にマッサージ。
仰向けになって、膝をつかんでゆすぶったり、
押されたり。
大体30分ぐらい施術してもらったでしょうか。
最初に比べると、痛みも和らぎました。
姿勢も悪かったり、
長時間同じような姿勢のまま、
体を動かすことも少ない。
ま、なるべくしてなったようです
。
そんなに重い症状ではないんだけど、
しばらく通ってほぐす必要ありとのことで、
今日のところは終りました。
もっと早く行っとけばよかったです。
でもまぁ、手遅れじゃなかったってことで、
ちょっと一安心。
えーい、勢い余って、
アマゾンのプレミアムスイッチ押しちゃいました![]()
最近キッチン回りを立て続けに買ったんですけど、
こういう普段よく使う日用品っぽいのは、
毎日のことなんで、すぐ欲しいんですね。
例えば、レシピ見て、あぁ、この道具が欲しい、とかね。
で、今晩その鍋使ってる自分を、
リアルに想像してしまうわけですよ。
そうなると、もう抑えが利かないんですね、じぶん![]()
そんなんで、ここんとこ、お急ぎ便を選ぶことが、
度重なったもんで、とうとう本日、
もうひとつの特典、1500円以下でも送料無料フラグが
立ってしまったコミックの1冊買いで、
ついに地雷を踏んでしまいました、とさ。
それ以来、細々した日用品を、
毎日のようにポチッとしてます。
例えば、カミソリの替え刃とか、
きれかかってる調味料とかね。
ま、これなら、十分元とれますね。
たまたま見たNHK「ためしてガッテン」で
やってました。
翌日から初めてちょうど一週間、
続いてますよー![]()
で、ちょっと思ったことをメモ。
●息が上がりにくい
続いているのには、これが、一番大きいですね。
走ると息切れるじゃないですか。
でもスロージョギングの場合、
息が上がりにくい。
まぁ、上がりそうになったら、
ちょっと止まっちゃえばいいんですしね。
●止まりやすく動きやすい
ほとんど歩くのと変わんないスピードなんで、
しんどくなったら、割とすぐ止まれるんですね。
普通のジョギングだと、止まるのにも
ちょっと力いったりする。
で、ちょっと歩いても、
割とすぐ走り出せるんです。
なんせ、そんなに早く走る必要ないんだから。
これも、ある程度スピード出そうなんて思うと、
走り始めるのがちょっとしんどかったりするんです。
ま、それでも走り出しにくい場合は、
その場で2,3回軽くジャンプします。
で、そのまま足を前にすれば、
ほーら、すぐスロージョギングです
。
●携帯を持っていく
これは、緊急の連絡用でもあるんですけど、
わたしの場合、主にカメラですね。
例えば、花壇に咲いている花とか、
ちょっと変わった看板とか、
スロージョギングぐらいのスピードで走ってると、
結構いろいろ目に付くんですよねー。
そんなとき、カシャッとね、撮るんですわ。
それがまたいい休憩になったりしてね
。
●競争しなくなる
というか。
してもほとんど負けます
。
なんせ、ほとんど歩くのと変わんないスピードですから。
で、ここまでスイスイ抜かれると、
どうでもよくなるんですねぇ。
競ってもしょうがないと。
自分のペースで走ることが出来まする。
ただねぇ、歩いてる人にも抜かれたりしてると、
さすがに、ちょっとショックですわ
。
●時間が肝心
身体を動かす場合、
例えば、腕立てとか腹筋とかでも、
大事なのは、回数じゃないんですね。
大事なのは、時間。
そう、何回じゃなくて、何分なんですね。
スロージョギングの場合も、
走る距離じゃなくて、走る時間が肝心です。
目安は30分。
30分ぐらい走ると、
だいたい3km前後の距離を走ることになりますね。
●ウォーキングとは全然違う
これは走ってみればわかりますけど、
スピードはあまり変わんないですが、
身体の上下動が全然違います。
ズシンときます。
同じ様なスピードでも、
歩くのとは身体の使い方、
使う強さ、とでも言いましょうか、
そういうのが全く違います。
いかにも効きそうって感じです。
とまぁ、いろいろ思ったこと、
感じたことを書きましたけど、
まずは軽く踏み出しましょう。
しんどくなったら無理せず、歩けばいいんです。
とりあえず、途中歩いてもいいから、30分続ける。
これが大事なような気がします。
先日買ったワイヤレスレシーバーを充電しててふと気になった。
足元を見てみると、そこかしこに、充電しているものたちが…。
暇なんで数えてみた。
ノートパソコン
ハンディークリーナー
デジカメ
iPod nano
iPhone
ニンテンドーDS
携帯電話
ワイヤレスレシーバー
マキタの充電式クリーナー
電動歯ブラシ
シェーバー
あるわあるわ、全部で12。
おっと。
大事なもん、忘れとった。
…オレ![]()
昨日アマゾンで「お急ぎ便」で購入した
iPod及びiPhone用ワイヤレスセット
SONY iPod用Bluetooth トランスミッター TMR-BT8iP
SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B
が今日届きました。イェーイ![]()
まずは、レシーバーを1時間ほど充電します。
終ったら、さっそくペアリング。
Bluetoothでは、これが肝。
①iPod nanoに、トランスミッターを差し込んで、
起動します。
②レシーバーの電源ボタンを7秒以上長押しします。
青と赤のランプが点滅し始めたら、押すのをやめます。
③トランスミッターの中央のボタンを、
これも7秒以上長押しします。
青のランプが点滅から点灯に変わったら押すのをやめます。
これで、ペアリング完了です。
後はレシーバーのボタンで、
再生、停止、ボリューム上げ下げの一連の操作を確認。
ちょっとボリュームの上げ下げが、やりにくいですね。
再生/停止ボタンの、
上と下を爪で押さえるような感じで、
操作するんですが、
ボタンが小さいので、
気をつけないと再生と停止の繰り返しになりがちです。
でもまぁ、何より、繋がってないってのが、
こんなに楽とはねー。
(クリックで拡大)

トランスミッターとレシーバーで、1万超えますが、
線で繋がってるのを煩わしいと考えている人、
もっと自由なスタイルで音楽を聴きたい人には、
おススメです。
そうそう。
こないだうちにツレが来た時のこと。
台所のシンク下の扉の取っ手に、
レジ袋結んで簡易ゴミ入れを作ってくれました。
それ以来、あのアイディア、
便利に使わしてもろてます。
料理するときって、
ちょっとしたゴミって出るんですよ。
野菜くずとかトレーとかラップとか。
今までは玄関に置いてあった
大きなゴミ箱までささっと
平行移動しながら(かにかい!)
捨ててました。
それにしても、
取っ手のタオル(これは親んとこで見た)といい、
ほんま台所周りって、
女性のいろんな知恵の宝庫ですね。
最近A5サイズにこだわってます。
といってもノートなんですけどね。
いつも持ち歩いてるノートのサイズ、
一生A5で行くことに決めました。
鞄に入れてもかさばりませんし、
そこそこ書ける。
いかにもノーと取ってますというほどの
サイズでもないし、
ちまちまとなにやら書いてるぞ
というサイズでもない。
大げさでもなく怪しくもなく
自然にペンを動かしてる
そんな感じがするんですわ(^^;
それに何より、
わたしの手になじむ大きさなんですよねー。
使ってて気持ちいい。
今お気に入りで使ってるのが、
無印のスリムタイプ。
幅が普通のA5よりちょっと狭いんですな。
どうやらぱっと見たときに、
一度に見渡せるちょうどいいサイズらしく。
このぱっと見にいい大きさってのは、
ノートだけじゃなく、
そのまま本にも言えること。
今後この版型の本、ますます増えそうな予感。
朝のテレビで、
沖縄のキャスターの人が
日本全国を訪ね歩いて
そこの食べ物を探し回るというルポを見ました。
ま、よくあるよね。
で、今日は愛媛。
魚市場で知り合った人の家(魚屋さん)に
押しかけてそこでイサキの刺身とか
真鯛のサツマという
郷土料理をご馳走になったんだけど、
その時に、そのキャスターから出た言葉が「ずみぃ」。
どうやら沖縄の方言で美味しいとか素晴らしいの意味らしい。
すると、言葉よりもと、
そのキャスター、
ノートを取り出しそこに筆ペンで「寿味」と書いた。
あじをことほぐ、か。
いいねぇ。
食べ物だけでなく
それを供してくれた人に対しても
感謝の気持ちがこもっている気がします。
もうね、三昧ですわ![]()
毎日のようになんかアプリを落としてる。
最近はゲームです。
「レッツゴルフ」とか「DDR」。
どっちも有料なんだけど、
おかまいなし。
今回は、ちょっと写真を撮るときについて。
iPhoneのカメラって、
物理的なシャッターがなくて、
画面にタッチしてシャッターが切れます。
で、このタッチの感度が、
結構いいんですよねー。
ピントを合わせようと
iPhoneを動かしているうちに、
ちょっと触れてしまって「カシャッ」なんてことも。
そこで、ちょっとしたコツを。
シャッターボタンを押して「きる」んじゃなくて、
指を離して「きる」。
指で画面上のボタンを押したまま、
ピントを合わせます。
ピントが合ったら、静かに指を離す。
これでOK。バッチリです。
ここ2,3日で入れたアプリをちょこっと紹介。
(以下記載の情報はすべて2009.5.4現在のものです。
多分連休明けに結構変わるかもです。)
◆写真系
実はiPhone買って
一番使ってるのが、カメラ機能。
とにかく液晶が大きくてきれいなんで
つい撮っちゃうんですよねー。
で、このカテゴリのアプリをいろいろと試してます。
・CameraKit
Ver.1.3.1
230円
おすすめ度:★★★
えー、いきなり有料ですが(^^;。
とにかく簡単に写真が加工できます。
そのまま撮ることもできるし、
撮った後でも可能。
撮った後、残すか取り直すか
選べるんだけど、
これが微妙。
すぐ撮りたい時には、
ちょっとうざい。
このあたりは、
標準の「カメラ」の方が潔い。
下手な鉄砲も数うちゃあたる的な(^^;。
とはいえ、今のところ、
標準の「カメラ」に
取って代われる候補No.1。
・PhotoCooker
Ver.1.0.2
無料(GW後に有料化とのこと)
おすすめ度:★★
写真は撮れません。
撮った後の加工メインです。
まぁ、いろいろとできます。
モザイクと落書き機能が使えそう。
・Quick Shot Lite
Ver.1.2
無料
おすすめ度:★
画面全体がシャッターになってます。
撮った後に、残すか捨てるか選べる。
加工はできません。
◆ナビ系
内蔵GPSを利用しての
iPhoneのナビ系ははっきり言って
使えますよー。
・AroundMe
Ver.2.2.2
無料
おすすめ度:★★
iTunesStoreでは「ライフスタイル」のカテゴリですが、
使い方的にはナビ的なので(^^;。
iTunesStoreの紹介画面では、
メニューが日本語ですが、
わたしの落としたVer.2.2.2では、
英語でした(「キャンセル」だけ日本語…)。
まぁわかるっちゃわかるんですけどね。
使い方としては、
今いる近くになんかいいお店ない?
とか、あ、お金ない!
近くに銀行は?
ってなシーンかな。
・全力案内!地図アプリ
Ver.1.3
無料
おすすめ度:★
徒歩ナビとして面白いかな。
音声ナビの様子は、
「全力」ってのがわかります(^^;。
無料にしては、ね。
・ホットペッパー
Ver.0.3
無料
おすすめ度:★★
何か食いたいって時には最適。
この手のアプリでは「ぐるなび」もある。
個人的には、使い勝手はこっちの方が上かな。
「近くで営業中のお店」ボタンで
すぐマップが出るところなんかね。
ただ、起動がぐるなびに比べてかかるのがちょっと。
それと検索履歴は欲しいところ(ぐるなびにはあり)。
とはいえクーポンついてるのがうれしひ。
(ぐるなびにもついてるけどね(^^;)
ただこの分野は、
標準のマップが最強のグーグルマップなんでね(^^;
◆ネットワークサービス系
SNSもここで(iTunesStoreでは独立してますが)。
・Big Canvas PhotoShare
Ver.1.05
無料
おすすめ度:★★★
いわゆる撮った写真をアップして、
そこから始まるSNS。
携帯でいうと(iPhoneも携帯なんだが(^^;)
「携帯百景」的なもんだね。
今わたしの写真ライフは、
CameraKitで写真とって、
このソフトでアップ。
と同時に、このソフト経由で
Twitterにもポスト、って流れ。
・TwitterFon
Ver.1.4.6
無料
おすすめ度:★★
Twitterクライアント。
無料では一番かな。
直感的に使えるよ(ってかTwitter自体そうやけど(^^;)。
・はてな touch
Ver.1.2.1
無料
おすすめ度:★
はてなのダイアリーとぶくまが使えるけど。
・はてブポケット
Ver.1.0
無料
おすすめ度:★★
ぶくまに特化した分、「はてな touch」より使いやすい。
はてブをとっかかりに
サーフィンする人にはええかも。
・BB2C
Ver.1.3.1
無料
おすすめ度:★★
2chビューワ。
ほんま、よーできてます。
ニュース速報はほとんどこれです。
・AeroReader
Ver.1.4
無料
おすすめ度:★★
livedoor readerです。
ブログをlivedoor reader使って読んでる人には、
おすすめです。
オフラインでも使えます。
長くなったんで、続きます。
えー、ついにというべきか、
やはりというべきか、
遅かれ早かれというべきか、
まぁ、とにかく買っちまったよー。
しばらく忘れてたんやけど、
ここで思い出しました。
で、昨日の土曜日、
秋葉のヨドバシで購入。
黒の16GB、一括で。
今キャンペーンやってて、
パケ放題フルのMAXが5985→4410。
他にもあったけど、
詳細はこっち。
早速家帰って、いろいろさわり倒しました。
まず、メールアドレス変えて、パスワード変えて、
メールボックス設定して、Wifi探して…と。
一通り設定関係終ったら、
今度は、お待ちかねのiTunesとの同期。
曲やらアプリやら写真やら、
これがないと始まらないもんね。
とにかくアプリのダウンロードにはまりますね。
とりあえず、おすすめの無料アプリは、
使う使わないに関わらず、
一通りダウンロード。
これだけで、軽く10は超える。
次に、金払っても入れとけ、
と評判のを、ポチッと購入。
このあたり、ぼちぼちと紹介しますわ。
まずはカスタマイズ後のトップメニューだけ。

ま、携帯としてメインにする気は毛頭なかったんで、
満足してます。
電話がついた手のひらサイズのモバイルPC
とおもっとけば間違いないんじゃないでしょうか。
新幹線とはおもえない速度で車窓が流れていきます。
外に広がる景色が広いんです。
建物の数が圧倒的に少ないんですね。
東京からだと3時間近くかかります。
ちょうど東京大阪と同じぐらいなんですけど、
それほど長く感じません。
全くもってのどかに山形に到着します。
陸路では最も北に来たことになります。
お昼は5名で山形駅の近くの蕎麦屋。
地元の方いわく、山形は蕎麦屋が多く、名物とのこと。
中でも板そばが有名で、
連れて行ってもらったお店にも板そばがありました。
ちょっと高めだったので、
山形ではポピュラーなげそ天そばを注文。
そばは非常に腰が強く、わたしの好みにあいました。
値段は900円。それなりにするもんですね。

駅やら駅の近辺には
やたらとNHK大河の
「天地人」の幟やらポスターを見かけます。
今ちょっとした山形ブームなのかも。
そういえばおくりびとも山形だし。
仕事が終って、
山形駅でお土産にシベールのラスクを買います。
ラスク自体はそう珍しいものじゃありませんけど、
いつの間にか、ここ山形の名物土産になったようです。
ガーリックやブルーベリーや
ショコラなどいろいろありますけど、
プレーンをチョイス。
さっくりと軽い甘さとバターの風味がおいしいです。
ちょっと肌寒くはあったんですけど、
お天気もよく、実に気持ちのいい出張でした。
また来たいな、山形。
単なる言葉遊びです。
ほら、風が吹けば桶屋が儲かる
って言うでしょ。
あれをぐるっと一回りさせるチャレンジ。
では、いきます。
①風が吹く
②土ぼこりが舞う
③目に入る
④目が見えなくなる人が増える
⑤目の見えない人の趣味といえば三味線。
で、三味線の需要が増える。
⑥三味線といえば猫の皮が材料
⑦猫が乱獲される
⑧天敵の猫が減ってねずみが横行する
⑨桶をかじりまくり、桶の買い替えや修理の需要が増える
⑩桶屋が儲かる
と、ここまでは既知ね。
ここから、こんな感じでどうでしょ。
⑪桶の材料の木材需要が増える
⑫どんどん山から木を切り出しにかかる
⑬禿山が増える
⑭街中に風が吹き込むようになる。
⑮①に戻る。
猫か木か、どっちが先になくなるか。
ってことで、⑫あたりがネックかな。

最近テレビなんかでも
よく見かけるのが川べりのシーン。
主人公がお昼におにぎりを食べてたり、
気になるあいつと互いの気持ちを
言い出せないまま歩いたり、
川向こうに沈む夕日を見ながら、
何かを決意したり、
誰かを探しにやってきたり、
ライバルと決闘したり。
どうやら川には、
何かありそうですね。
思うに、流れているということと、
向こう岸があるということ。
この二つが大きいような気がします。
流れはイコール動き、
それも街中の流れはゆっくり。
止まっているようでいて実は動いている。
何だか自分を見つめるときの、
時間の流れのようじゃないっすか。
それに向こう岸があるというのは、
こちらと向こう、近くと遠く、
過去と未来、夢と現実、
なんかこう、分かれ目があって、
そこに向き合っている、
そんな思いがわいてきます。
いつもと同じなんだけど、
ちょっと違う、
そんな日常の中の、
非日常というか。
いつかはそこから離れていく、
そう分かってるんだけど、
離れがたい、
そんな場所なのかなと。
4月10日の天皇皇后両陛下の金婚式のご会見ほど、
感動的な会見は近来まれに見るものでしたね。
(といいつつ、水島ヒロと絢香のもよかったなぁ)
互いを尊敬するお気持ちと、
艱難辛苦をともにしてきた
同志への心からの労いが、
もうひしひしと伝わってきて、
思わず涙ぐんじゃいました。
天皇陛下も、
ちょっと言葉に詰まっておられたほどだったし。
ただ気になったのは、
陛下の口から出たのは、
「悲しい」「辛い」ということばだったこと。
「楽しい」「嬉しい」という系統の言葉は
ついぞ聞かれなかった気がする。
(感謝という言葉もその裏には、
よく耐えてくれたねというおもいがあるし)
これはそういうことが
なかったということじゃなくって、
例えば、宮様の成長なんかは、
まさに楽しく嬉しいことなんだろうけど、
お二方にしてみれば、それ以上に、
自分たちの間に生まれた
子どもたちが背負うべき運命が、
徐々に目に見えてきて、
み子さまたち自身もそれに気づいていかれる、
その過程そのものなんですね。
だから「楽しい」「嬉しい」と
一言で片付けられるようなことじゃくって、
その向こうにある「悲しみ」や「辛さ」を
つい見てしまう、そういうことなんじゃないかな。
ある意味日本一孤独な夫婦であり、
家族なのかもしれないですね。
いやぁでも、日本の「象徴」が、
ほんと両陛下で
よかったなぁ、
強くそう思った会見でした。
最近知った「Chikirinの日記」というブログがいいっす。
筆者の考え方や、小気味のよい議論の展開など、
共感できることしきり。
その中で、「保育所が永久に足りないであろう理由」
という記事があって、
それを読んでちょっと感じたことを書いてみます。
今待機児童の問題で話題の保育所、
それとこないだ群馬で火事があった老人ホーム、
これらの施設は、「供給が需要を生む」という構造なんで、
「永久に足りないだろう」というのが記事の骨子。
なるほどなぁ、と。
じゃ、どうするか。
これはもう「社会全体で子ども(老人)の面倒を見る」しかないかな、と。
この場合の「社会」は、いわゆる労働人口ね。
20歳から60歳までの働いている人。
自分の子ども達の教育、
すなわち未来への投資と、
自分達の老後を現役のうちに税金で買い取っておく、
そういう風に考えれるように
意識転換しないといけないんじゃないの、そろそろね。
あと、子どもたちと老人たちには
互いに互いの役に立ってもらうというのもいいんじゃないかな。
例えばね、保育所と老人ホームを同じ敷地内に立ててみる。
老人は子どもからパワーをもらい、
子どもは老人の穏やかさや経験を感じ取る、
とかね。どんなもんかな?
通勤電車内でのことでした。
とんとんと肩を叩かれます。
そちらに顔を向けます。
ぬぅっと、目の前に、
携帯の画面が現れます。
その画面には、
「音、うるさいんだけど」と。
どうやらiPodから、
音漏れしていたようです。
すぐに再生を止めて、
そのまま鞄にしまい込みます。
いやぁ、気をつけないといけませんねぇ。
と思いつつも、ちょっとひんやりとしました![]()
ちょっと東京駅まで見送りに行ったついでに、
グランスタにお土産を買いにいきました。
まぁ、噂には聞いてましたけど、
すごい人です。
リクエストされたお土産はかりんとう。
どうやら人気のお土産らしいです。
銀の鈴の近くになにやら行列が出来てます。
まさしくそれが、「日本橋錦豊琳」の
かりんとうを求める行列でした。
45分待ちとのこと。
幸い新幹線の時間には余裕があります。
並ぶことにします。
5人ずつ向かい側のお店に連れて行かれます。
お土産とは別に、
自分用に、お店の人の言ってた
人気のある組み合わせ、
黒糖、きんぴらごぼう、ねぎ塩の
3種類を選びます。

ちょっと帰りがけに、
きんぴらごぼうをつまんでみます。
むぅ、まさしくきんぴらごぼうです。
でもかりんとうです。
よくできてますねぇ。
オーソドックスな黒糖は
ある程度予想はつきますが、
この調子だとねぎ塩が楽しみです。
生まれてはじめていってきました。
近づくとなかなか写真撮りにくいですね、ここ![]()

展望台チケットの長い行列を尻目に、
外階段に挑戦。

上りきると、こういうのをもらえたりします。

ま、一回行っときゃいいかな。
人生のどこかのタイミングで、
例えば、
今までの人間関係や、
行きつけのお店だけで、
もうええかな、
と思う時期が来ると思う。
これって、
もう新しいことが、
いやとかいうわけじゃない。
そういうことじゃなくて、
自分のいろんなリズムを、
世間一般と調整するよりも、
そのままでいるほうが、
生きやすいというか。
うーん、ちょっとうまくいえないけど。
でね、わたしも、
そろそろかな、なんてね。
松坂のピッチングを見て思った。
野球ゲームで自分がピッチャーをやってるとき、
一番三振が取れる確率の高かった球が、
インコースへのスライダーと
アウトコースへのシュートだった。
そして松坂は、
まるでテレビゲームのピッチャーような切れだった。
すげー。
わたしのような年代には、
モヒカンという言葉は、
結構刺激が強いです。
不良とか暴走族とか、
ちょっとビビッてしまう要素が、
そこにはあったりします。
でも今日、
いつもの1000円の
QBハウスで髪を切ってもらったところ、
今のわたしの髪型が、
ソフトモヒカンだと知りました。
何だかちょっとにやっとしました![]()
一週間に21回の食事をします。
朝は、毎朝トースト1枚とコーヒー。
昼は、月~金は自分でお弁当作ります。
土日はどちらか1食を外食します。
夜は、週1回飲みにいく以外は、
毎日自分で料理しますね。
これからすると、19/21で、
ほぼ9割うち料理です。
なかなか頑張ってる方かな![]()
※一応ここで言う料理は、
鍋やらフライパンを使うことを
前提とします。
「ほぼ日」の糸井さんのコラムから。
で、その「人」のなかには、
つい忘れられがちな一人がおりましてね。
それが、「わたし」なんですね。
「わたしをばかにしちゃいけない」んですよね。
そして誰もばかにしない。
ちょっとは生きやすい世の中になるかもね。
ひな祭りですねー。
で、全く関係ないんですけど、
コミュニケーションを
漢字一文字で表すと、
わたしは、
「合」だと思います。
話し合う、通じ合う、
助け合う、わかり合う…。
相手あってのことですもんねー。
そういえば、「合いの手」なんて
言葉もありますな(^^;
国力って、何でしょうか。
GNP?
軍事力?
石油埋蔵量?
核保有数?
財政収支?
失業率?
貧困率?
…まぁ、いろんな考え方がありますよね。
そんな中、
国力を、将来を担保するものと
定義するなら、
やはり、「人」ってとこに落ち着くような。
つまりは、「人口」。
もっといえば、「労働人口」。
例えば、平均寿命を80歳とすると、
今20歳の人の持ち時間は60年。
という感じで、
全国民の持ち時間を求めてみると、
大体その国の将来が見えてくる感じ、
しませんかね?
それからすると、
やっぱりこの国の最大の問題点は、
少子高齢化、それも「少子」の方でしょう。
ここなんとかせんとね。
この国の未来のために。
すぐそばで眠ってる子供たちのために。
大学生の頃、
中型二輪の免許を取って、
買ったばかりのバイクで、
学校に通ってました。
冬の寒さも緩み、
春の気配が強まった頃、
ヘルメットの中で、
あふれ出す鼻水に、
ボクは困惑してました。
それがボクの花粉症の始まりでした。
でもその頃、花粉症は、
花粉症じゃありませんでした。
多分日本全国で、
同じように風邪かなと思いながら、
お医者さんに行った人は数多いと思います。
多分この症状に花粉症という名前がついてから、
花粉症は大流行しだしたんだと思います。
これが、ちょっとひどい鼻かぜとか、
アレルギーのひどいやつとかだったりしたら、
ここまで対策グッズが出回ったり、
テレビで花粉予報が出されたりというような、
社会現象にまでならなかったんじゃないかな。
実際花粉症という命名は、
この症状のメカニズムからすると、
一つの主要な原因であることは確かですが、
ズバリというわけじゃありませんよね。
でも今までもやもやしていた
自分のこの状態に、
初めて人に言ってもわかってもらえる
名前がついた、
そう、共通の認識が持てたということですね。
流行には、「通じ合える」ということが、
とても大事なんだなぁ、と。
「日本のハンバーガーよ、
もう遊びは終わりだ」
ってマクドのスタッフジャンパーの背中に
書いてありました。
何か力はいってますけど、
ハンバーガーって、
日本では「遊び」なんじゃないの?
って思いました。

生まれてこの方一番北に行きました。
今年は雪が少ないそうです。
いつもなら歩道と車道の間には
雪の壁ができるらしいのですが、
今年はせいぜい膝ぐらいまで。
ま、市街地の話ですが。
寒さも、あぁこのくらいなら、
東京でもあるなぁ、というくらい。
でも夜はさすがに冷えます。
信号待ちが辛い![]()
別に夏目の漱ちゃん縁のホテルの話じゃありません
。
実はわたしの職場は品川にあるんですけど、
先日夜遅くに例の騒ぎのあった
ホテルの向かい側を通ったんです。
道に面した飲食店も
軒並みシャッターが下りていて、
全く灯がなく真っ暗でした。
このホテルの裏には
品川プリンスがあるんですが、
そこは全く対照的に、
きらびやかで灯りが煌々としていました。
それだけに余計にその暗さが、
深いような気がしました。
どちらも同じお客さんをもてなす
ホテルという場所でありながら、
その明と暗は、単に明るい暗いというより、
いっそ光と闇といった方がいいのかも…。
ちょっと思ったんですよ。
いろんなことがある中で、
あんなこんなを自分で考えるために、
どうすりゃいいのかしらと。
で、思いついたのが、
すべての文章の終わりに疑問符を。
すべての人の言葉の語尾を少し上げてみる。
そしてキーワード2つ。
「ほんと?」と、「なんで?」
まずは疑ってみて、
次に、理由を問うてみる。
今の世の中、いろんな知識があふれ、
自分で考えなくても、
グーグルが探してくれたり、
テレビで専門家が、
らしいことをいろいろと言ってくれる。
多分をそれらをつなぎ合わせるだけで、
いっぱしの意見になったりするんだろうねぇ。
でもそれって、
なんか時間つぶしって感じがする。
時間が主役っていうか、
時間に流されてる感。
そこんとこ自分の頭で考えると、
知らぬ間に時間がたってる、
そんなことありませんか。
「おぉ、もうこんな時間か」って。
時間はあくまで淡々と流れるもんであって、
こっちがたまに気づいたりする、
それぐらいがちょうどいいんじゃないかな。
時間を意識するだけ多分年って取るような、
そんな気がします。
どうやらばら撒かれそうですねぇ。
世論調査でも、
7割の人がばら撒きに反対し、
8割の人がでももらうって、
答えてますねー。
もちろんわたしも、
ばら撒きには賛成しないけど、
くれるんならもらいます。
そこで一つ思ったんだけど、
もらったお金を、
例えば、学校の耐震工事に使いたいとか、
医療の整備に回したいとか、
保育園や幼稚園を支援したいとか、
そういう、今お金を使ってもらいたい
ところに回す仕組みは取れないのかなぁ、と。
例えば、県や市や区や町が、
学校耐震基金とか、
出産育児支援基金とか、
医療崩壊阻止基金とか、
そんな受け皿を作って、
もらったお金を使ってもらいたい人は、
それぞれ自分の希望で、
そこに振り込むとか。
いろんな規制があったり、
法律を作ったり変えたりしなくちゃ、
多分ダメなんだろうけど、
普通の人たちの、
政治への思いを、
気軽に、形に変えることの出来る仕組みって、
何か欲しいなぁ、そう思いますね。
今ほぼ日で連載してる、
山岸俊男教授との対談で出てきました。
心理学の実験だそうで、
1000円あって、それを分けるほうがいいか、
分けられる方がいいか、
どっちかを選べというもの。
結果として、
分けられる方がいいという人のほうが多い、
とのことでした。
もしわたしなら、
分けるほうがいいかな。
理由は、いろいろと考えられるから。
例えば、どういう割合で分けようとか、
その時、分けられた人はどう思うんだろうとか。
具体的な行動は伴わなかったりするんだけど、
頭の中で、いろいろぐちゃぐちゃ考えるの、
結構好きなもんで。
最近こんなことを思いました。
昔子供だった頃、
あこがれていた大人、
例えば、小学校のN先生だったり、
巨人の王選手だったり、
そういう人たちのその頃の年を、
もう越えているんだなぁって。
そして、今の年の自分は、
かっこいい大人、
子供が憧れてくれるとまでは言わないけど、
その人の言うことや行動から、
何かを感じ取ってくれるような、
そんな大人になってるんだろうか、
そう自問してしまうのでした。
思いついたように書きます。
今年の目標。
・体重を60kg台にする。
・本を100冊以上読む。
・高脂血症の治療を始める。
・借金を0にする。
・ボイス・トレーニングを始める。
・字がうまくなりたい。
・何か楽器を始めたい。
・何か資格を取りたい。
・一日一つ心にぐっと来た言葉を手帳に書き留める
どうやら何かのために毎日毎日こつこつ積み重ねたいようだね、自分。
さてこのうちいくつ出来るかな。
年明けからテレビで、
『コード・ブルー』の再放送を、
集中的にやってましたねー。
(関東だけかもしれませんが)
先日その録画をこれまた一気に見たんですけど、
そこで、突如、気づきました
。
それは、
キムタクの後継は、山下智久君だと。
ひょっとして、ジャニーズ・ファンさんたちの間では、
常識なんかもしれませんが![]()
ただ、キムタクはSMAPあってのキムタクですが、
山下君にとって、NEWSはそんなでもない感じがしますが。
ま、それだけっちゃ、それだけです、はい![]()
何だかだいぶ遅くなりましたが![]()
大変な時代に生まれ合わせたなぁとは思いますが、
これもまた何かの縁。
早々あることではないし、
楽しんでまいりましょう。
生きてりゃ、楽しいことは確実にあるはずですしね![]()
もう自炊し始めて5年は経ちます。
未だに料理は下手ですが、
一つだけ自慢できることがあります。
それは、後片付けです。
特に洗い物。
これだけは自炊始める頃に、
心に決めたことを今でもきちんと守れてます。
それは、食ったらすぐ洗う、
料理の途中でも洗うということです。
要はためてしまうと、
量が増えるので、それを片付けようとすると、
結構ハードなので、なかなかその気にならない、
そうするとますますたまる、という悪循環になりがちです。
だから、今でも食べたらすぐ
洗ってしまうように心がけています。
その中でよく思うのが、
なかなか適当な量の水加減ができないということです。
つい、勢いよく水を流しがちになります。
そうすれば早くきれいになるような気がするからです。
多分本当はもっと少ない水でも十分に、
きれいになるような気はするんですけどね。
そこで思ったのが、蛇口をひねるという、
アナログな水量調整とは別に、
ボタン一発で、ちょっと細めの水流が、
自動的に出てくる蛇口。
名づけて「エコ蛇口」なんてのはどうでしょう。
野菜を洗ったり汚れ物を洗う時って、
細い水流でも、対象物をよく動かしたり、
指でちょっと時間をかけて丁寧にこすったりすることで、
十分にきれいになります。これは経験上そうですね。
ちょっとでも水量を減らすことで、
当然水の節約にも繋がるし、
ひいてはそれがその上流の方の
エネルギーの節約にも繋がるはずです。
「末端の節約は遡及する」です。
これから冷たい水が辛い季節になります。
少しでも水の量を減らして、
その辛さを軽くすると同時に、
地球の辛さも軽くしてみるのもいいかも。
会社の総務からメールがありました。
全社通達です。
新たな就業規則です。
裁判員休暇が新設されるそうです。
添付のPDFを読みます。
有給休暇扱いです。
上限なし。
これはどんな裁判に関わるか、
判らないからとのことです。
ひょっとして、1ヶ月ぐらい
缶詰になるってこともあるかもしれませんもんね。
さて、第一号は誰になるんでしょうか(^^;
すっかりテレビっ子です。
きっかけは引越しです。
支度金が出ます。
それで地デジ対応液晶テレビ録画機能付を買いました。
東芝のREGZAです。
いいです、これ。
内蔵のハードディスクに簡単に録画できます。
番組表からできます。
地デジ対応ですから、データが空からやってきて、
すぐに更新されます。
昼間の時間帯、もちろん会社です。
この時間帯に各局とも昔のドラマの
再放送をやってます。
昔といっても、ちょっと前にやってたやつだったりします。
これが面白いんです。
やはりというか、フジテレビ系が充実してます。
最近だと、天海祐希の『離婚弁護士』がよかったです。
ただ忙しくなると、
録りだめしたのを見る時間がなくなるのが痛いです。
内蔵ハードディスクには限りがあります。
結局見ないまま消さないといけなくなりますね。
まだこういうことにはなってませんけど。
いよいよ番組改編時期です。
さて、面白いドラマあるでしょうか。
また八百長騒動ですか。
これほど何度も出ちゃ消え、出ちゃ消えだと、
なんかあるんとちゃう?って思ってきちゃいますよね。
火のないところに煙は立たずとも申しますし。。。
今の相撲界のままで一番得するのは、
そりゃ親方衆でしょうね。
いわゆる既得権益ってやつですね。
結構格闘業界って、分裂しますよね。
プロレス然り、ボクシング然り。
相撲もどうっすかね。
貴乃花親方あたりが今の協会出て、
新しい団体作ったりしませんかね。
番付も東西分かれてることですし。
それぐらいやんないと、
根腐れして今に倒れるような、
そんな気がします。
『本の雑誌』9月号の巻末エッセイで、
椎名誠編集長が、サントリーの武蔵野工場に、
取材に行った様子を書いてます。
この工場は、プレミアムモルツを造っているところだそうです。
そこの案内の女性に教えてもらったそうです。
少し冷えたグラスの上、二十センチほどの高さから、 缶ビールを勢いよく注ぐ。 その量は全体の5分の1ぐらいだ。 グラスの中でかなり盛大に泡が立つ。 今度はグラスを傾け、グラスの縁から少しずつ、 じわじわと泡の下をくぐらせるようにして、 残りのビールを全部注いで完成。 七対三の割合で、見事に比率三の白い泡がうまそうだ。
とあります。
これはやってみなければ
。
さわやかな秋晴れの休日です。
人生初の上野公園です。
ここには西郷さんはじめ、結構銅像が多いですね。

まずはお約束![]()

続いて小松宮の騎乗像。

上野大仏の顔。

ちょっと分かりにくい場所にある野口英世の像。
結構な人出でした。
ベンチや段々など、腰を落ち着ける場所も多くて、
ゆっくりとビールでも飲みながら、
読書するにはうってつけですな。
ってことで、不忍池の周りにあるベンチで、一服。
あるドラマを見ていたときのことです。
ヒロインが異国の土地で、めげそうになります。
故郷の母に電話しながら、
小さい頃、父と一緒にみた畑からの富士山を、
思い出します。
さえぎるものがない富士山です。
ヒロインの父親が言います。
「どこにいてもこの景色を思い出せ。
どんな時もここに帰ればこの富士山がある」
人には、誰にでも、心の中に、
忘れられない景色があると思います。
辛い時や悲しい時、
それを思い出すことで、
落ち着いたり、元気が出たり。
わたしにとっては、それは、
人生の半分以上を過ごした神戸の、
それも実家の近くの、ごくありふれた町並みです。
六甲の山並みと神戸の港に挟まれた、
普通の住宅街です。
今、一人で東京に暮らしています。
ときどき思い出します。
その街を歩いている自分を。
その時の気持ちを。
いつかそこに戻るその日を楽しみに、
この街で過ごしています。
Google Chromeを試してみました。
噂どおりの速さですね。
アドレスバー周りの機能アイコンも、
すっきりとシンプルで、必要最低限に絞ってる感じが、
好感が持てます。
ブラウザの基本とは何かってのを、
教えられた感じです。
でも、わたしが今使っているのは、Safariです。
機能的には、FirefoxはおろかIEより落ちるかもしれません。
でも、画面表示の速さは、Google Chromeに引けをとりません。
(同じWebkitというHTMLエンジンを使っているらしい)
それに何より、画面が美しいんです。
もうこれは圧倒的です。
しっとりとした美しさです。
あらためて、ブラウザは見るためのツールだということを、
思い知らされます。
気持ちよく「見る」ことを大事にしている、
Safariはそんなブラウザです。
今回の福田首相の辞任騒動を見ていて、
そう思いました。
この人って、基本的にええしの子じゃないですか。
お父さん元首相だし。
ええとこの子、みんながみんなそうじゃないけど、
この人は、我慢できなかったんでしょうねぇ。
記者会見で一番印象に残ったのは、
ある記者の質問に対して、
「私は自分のことを客観的に見れるんです。」
といったあと、
「あなたとは違うんです」と、切れたこと。
ほんまは、「あなた」じゃなくって、
「あなたがた=国民」っていいたかったんじゃないの?
って気がします。
どうして支持してくれないの!?
どうして分かってくれないの!?
わたしは一生懸命やってるのに!
分かってくれないんだったら、
あぁ、もうやめてやる!
やめやめ!ってとこですかね。
久しぶりにはまっています。。。
発端は、一昨日深夜の電話。
お客さんのところでトラブル発生とのこと。
すぐに電話をしますが、
この電話がまた酷く電波状況が悪く、
まったく話にならないとはこのことかと。
どうにも埒が明かないので、
タクシー飛ばして現場に向かいました。
そこから毎日タクシーで帰宅する日々です。
まぁでも、車飛ばして30分以内なので、
なんかあったら、すっ飛んでいける、
そういう「安心感」というか、
「何とかなるだろう」感というか、
遠く離れたところで、
何も出来ないわが身にヤキモキするよりは、
そりゃしんどいけど、気分的には、楽かなと。
そんな風に思いつつも、やっぱり、
睡眠時間3時間が続くのは、
この年にはきついなぁ![]()
星野ジャパンの挑戦が終わりました。
ただ、挑戦という感じじゃなかったですね…。
なんかこう、重っ苦しい感じでしたね。
水の中で溺れてるような感じというか。
身体の自由が利かない、それが気持ちの焦りを生むというか。
今回の中で一番印象的だったのは、
星野さんの穏やかさでした。
何か達観してた感じがします。
星野さんのキャラじゃないような。
星野さんって、怒れる闘将という感じじゃないですか。
こういう短期決戦って、「怒り」というのは、
結構重要なファクターじゃないかと思うんですよ。
なんかこう、開き直りの点火剤というか。
日本人は、あまり怒り慣れていない国民でしょ。
その中でも、星野さんは、「怒り」を、
うまく使いこなせる方だと思います。
それが、今回は、不発に終わったというか、
「怒り」より「戸惑い」が先に来た感じですかね。
「戸惑い」はすなわち「迷い」ですから。
首脳陣が迷っちゃ、そりゃ勝てないですわね。
ということで、みなさん、お疲れ様でした。
また、ペナントレースを盛り上げてください。
毎日うるうるします。
はい、オリンピックのせいです。
年とともに涙もろくなってきています。
でも、自分としては、だんだんいい具合に、
泣くということができるようになってきた、
そう感じています。
声を出さずに、ただ涙を流す。
静かに泣く、silent tears とでも言いましょうか、
そういう泣き方ができるようになりました。
赤塚不二夫さんがなくなりました。
そのお通夜の席でタモリさんが弔辞を読みました。
「すべてのものをあるがままに積極的に受け入れ、素晴らしい弔辞です。
肯定する。「これでいいのだ」と。」
先日、とあるITベンダーの方のお話を伺う機会がありました。
その会社は、以前熱帯魚飼育ソフトで有名な
「アクアゾーン」を開発した技術者が
中心となって設立された会社だそうです。
今は主に、音声ソリューション(音声認識や音声合成)の分野で
急成長してきているとのこと。
中でも特に音声認識を中心に、
うちのソリューションとのマッチングを模索しました。
日本では、音声認識というと、まずその認識率を問われます。
しかし、そこの会社の面白いところは、
その認識率の高さもさることながら、
相手とのコミュニケーションを、実にうまくサポートする、
いや、ナビゲートすると言ったほうが近いでしょうか、
そのあたりのアプローチです。
いうまでもなくコミュニケーションは、
そのほとんどが言語で、中でも単語です。
組み合わせや順序といった文法的な要素もありますが、
それらはときに省略されたり、逆転したりします。
おそらくそのあたりを予想したり、補ったりすることによって、
結果総合的な「会話としての認識力」を高めているのでしょう。
また、「意味」としての単語の場合、いろんな言い方があります。
例えば、「本屋」。人によっては、「書店」といいますし、
また「本屋さん」と「さん」付けする人もいるでしょう。
でもいずれも、その意味するところは同じです。
音声認識の場合、これをカバーするには、
都度その「辞書」をメンテナンスするしかありません。
そうすることでその認識率を維持したり上げたりするのです。
そういう、いわゆるチューニングの部分でも、
かなりな技術力をお持ちのようです。
人にとって、コミュニケーションの一番の肝は、
話が繋がることだと思います。
そこを、人に負担をかけずに、人の持つ予測する力や、
判断力をうまく引き出す、そこにITを絡ませていく、
いわば、人とITがうまく協調しながら、
円滑に意思の疎通を図る、そのためのいろんな仕組みと
それを支える技術力、そこが一番の売りだと思いました。
昨日岡山でツレと飲んでいると、
そこのマスターに言われました。
自分で知らせた人以外の、
リアル世界の知り合いに、言われたのは、
初めてですね。
お店の名前で検索されたようです。
そういえば、紹介したことありますわ。
なんだかドキドキしますね
。
あ、マスター、昨日も美味しかったです。
ごちそうさまでした。
また行きますね。![]()
向かいの駅のホームに車椅子の人がいました。
駅員さんが押しています。
一番端、先頭車両の一番前の乗車口に並びます。
すると、そこにいた初老のおじさんがすぅーっと、
実に自然に、ひとつとなりの乗車口に移動しました。
あぁ、わたしも同じようにするんだろうなぁ、
ふとそう思いました。
ってことで来週の今頃は浅草です。
ここのところ引越しの手続きでバタバタですけど、
ようやくダンボールも運び込まれ、
引越し気分が高まってきました。
何で浅草にしたかというと、
下町が好きだからです。
生まれ育ったところも下町でした。
結構ごみごみとしたところでした。
そんなわけで、わたしの浅草ライフが始まります。
休みのたびにいろいろと散策したいと思います。
写真もいろいろ撮ろうかな、と思ったりします。
まずは、雷門からですかね。
行ったことないし、基本ですもんね。
私に絶対似合わないファッションアイテムがあります。
それは…帽子です。
好きなんでよ、帽子。
かぶりたいんですよ、帽子。
でも、お店に入って、
いいなぁこれって被って鏡見た瞬間、
変質者っぽいおじさんがこっちを見つめてるんです。
なんか秋葉原でフィギュアを持って、
メイド喫茶の前で決心つかずうろうろしている、
そんなおっさんです(^^;。
野球帽から、麦藁帽、ニット帽にいたるまで、
ものの見事に全滅です。。。
写真をのっけてみてもいいのですが、
削除対象になりそうで(^^;。
東京だそうです。
なんとなく予感はありました。
初めて関西圏を出て行くことになります。
正直東京は住むところとしては、
考えたこともないところです。
神戸には愛着も思い出も全部あります。
親もいますし、友達もいますし、
元はつきますが家族もいます。
今まで、全部で10回ほど引越しをしましたが、
今度が一番の遠距離ですね(^^;。
まだ住むところも決まってませんが、
実はわくわくする自分もいる、
これが正直なところでしょうか。
決まったものはしょうがありません。
行った先でまた生活を楽しみます。
はじめてみる景色、はじめて入るお店、
風も匂いも音も、今とは違うんでしょうね。
ま、それもまた楽しみです。
ということで、ちょっと行ってきます。
松山に出張です。
伊丹からプロペラ機に乗り込みます。
座席が左に1列、右に2列。
定員50名程度の、小さなプロペラ機です。
ゆっくりとプロペラが回りだします。
そのうち見えなくなります。
そしてふわっと浮き上がります。
じつにわかりやすい感覚です。
この分かりやすさが、
ひょっとして安心につながってるのかも。
最新鋭のジェット機の方が、
ハイテクの粋を集めて、
安全面もぐっと向上しているのは、
間違いないところでしょう。
でも、なんだか飛びそうにもないものが、
飛んでる、そう、絶対破られない高性能金庫が、
飛んでる、そんな感じでしょうか。
ジャンボジェットに乗ると、
落ちたら終わりだと確実に分かります。
でも、不思議なことに、プロペラ機に乗ると、
なんかあっても、ひょっとしたら、と思ってしまいます。
そんなに高いところを飛びません。
雲を抜けると一面の雲海です。
上にはより高層の雲がたなびいています。
雲の切れ目からは、下界が見えます。
瀬戸内の島々が眼下に見えてきました。
車輪がグワーッと出てきます。
そろそろ着陸です。
続きます。
飲みの日々が。。。
大体1軒目は居酒屋です。
まずはビールで始まります。
中ジョッキ5~6杯です。
飲みながらつまみ系、それも、
がっつり肉系、麺系中心です。
ビールのあとは、焼酎ロックです。
つまみがなくなるまで、大体これも4~5杯です。
場所を変えます。
大体最後はショットバーで、バーボンです。
ハーパーシングルロックで〆ます。
電車がある間飲みます。
ところが、ここ最近は、これで終わりません。
最初の居酒屋であまりガッツリ食わずに終わった場合、
最後に反動がきます。
そうです。飲んだ後のラーメンです。
それも大盛りです。
昨日も最後は、あらうま堂で、
つけ麺ダブルで〆てしまいました。。。
最近一日のカロリーをつけ始めているんですが、
宴会になるともう駄目ですね。
ひとつの料理を複数で食べますし、
一人でいくつもの料理に箸を出しますもん(^^;
そこで、標準宴会時カロリーなるものを導入してます(笑)。
えいやっで、3000kcal計上です。
まぁはっきり言って、暴飲暴食の日々ですね…。
ところで最近のイニシャルって一体どっちなんでしょうか?
わたし自身は、ファーストネーム-ファミリーネームの順で、
書いたり話したりします。
でも、最近のテレビなんかでは、どうも逆のようです。
ファミリーネーム-ファーストネームの順で、
イニシャルとしているようです。
例えば、SMAPのメンバーは、
K.Tで木村拓也、
N.Mで中居正広
K.Sで香取慎吾
I.Gで稲垣吾郎
K.Tでくさなぎ剛
となってるみたいです。
まぁ、実際に名前を言う順番どおりとすると、
日本の場合なら、ファミリーネーム-ファーストネーム
なんでしょうけど、なんか違和感あります(^^;
そういうジョークがあるそうです。
こんな感じです。
新しいことを提案すると、人は必ず「それは誤りだ」と言う。それにしても、この本、いいっすわ(^^)
少し進みだすと、「誤りではないが、できるはずがない」となる。
できそうになってくると「できるかもしれないが、できても意味がない」となる。
そしていよいよできると「やっぱり、わたしの言ったとおりだ」と言う。
~小宮山宏『「課題先進国」日本』より
恐縮です。ちょっと気持ちの悪い話です(^^;。
今までネズミとりを仕掛けたことが2回あります。
1回目は小学生の頃、伯父の家で。
2回目は新婚時代のぼろアパートで。
1回目のネズミとりは、いわゆる籠の中に、
餌を吊るしてそこに鼠が入ると、
バネ仕掛けで入り口が閉まるというものでした。
見事につかまってました。
伯父さんに、「どうするの、これ?」と聞くと、
いとこが、裏庭に行こうといいます。
籠を持ってついていくと、
水を張った大きなたらいがあります。
「つけるんや」と、いとこ。
籠ごと、たらいの中に沈めます。
溺死させるんですね(^^;。
ぷくぷくと小さな泡をはきながら、
やがてその泡もなくなり、鼠もお亡くなりになります。
2回目は、ゴキブリほいほいの鼠版です。
粘着シールをはがして、台所の片隅においておきます。
鼠の通り道でした。
ある朝、仕掛けておいたネズミとりほいほいが、
かすかに動いています。近寄ると、
小さな「チュー」という泣き声が。。。
つかまるもんなんですねぇ。
さて、これはどうしたものかと、しばし考えます。
結局ビニール袋に、ほいほいごと入れて、
水を入れて口を縛ります。
そう、結局また溺死させました。
ハメルーンの笛吹きの頃から、
鼠は水におぼれて死ぬもんだなぁ、とふと思ったりしました。
ってちょっと大げさですけど(^^;
前日の岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』に
刺激されて、そこに載っていた、ダイエットに効きそうな
ドリンクを試してみました。
まずは、調整豆乳(コンビニで紙パック入り200mlが98円)と
野菜ジュース(これも同じ)を用意します。
それをドボドボと混ぜ合わせます。
それを飲み干します。
一気である必要はありません(笑)。
それだけです。
ね?簡単でしょ?
豆乳は今まで飲まず嫌いでした。
多分これからも単独で飲もうとは思いません。
でも、この野菜ジュースと混ぜて飲む形は、
わたし的にはありですね。
豆乳の臭みと野菜ジュースのえぐ味が、
うまく調和されてる感じがします。
この飲み物は、もちろんビタミンやミネラルに優れてます。
おすすめです。
おっと、ちなみに、大体175kcalです。
朝時間のないときの朝食代わりにいいですよ。
それと、二日酔いにもいいと思います。
実際昨日飲んでみて効きましたもん(笑)。
何かに自分を例えるのが割りと好きです。
今までも結構楽しんできましたね
。
動物占いでは、おおかみにちょっと嬉しかったり、
戦国将軍では伊達政宗に自慢げだったり、
まぁ、良かったものしか覚えてなかったりしますが
。
さて、今度はダイモンです。
『ライラの冒険 黄金の羅針盤』に出てくる、
動物の姿をした守護精霊のことで、
人それぞれ違うようです。
名前を入力して、20の質問に答えます。
さてさて、その結果は…。
ってことで、「Calista」というウサギだそうです。
なんか弱っちいですね![]()
画像にもおびえが入ってますし
。
ただ逃げ足が速そうなのは、わたしの中では結構評価高いです。
ちょっと気に入りました![]()
よく行く図書館が、この4月から、
休日・祝日も、午後6時まで開館するようになりました。
平日も午後8時まで延長してくれるようにもなりました
。
わたしのようなひとり暮らしのサラリーマンにとっては、
とってもありがたいことです
。
昨日の昭和の日も、前までは休館日でした。
前日にメールで予約本が届いているとあったんで、
早速出かけました。
休日のせいか、貸出しの方にはかなりの長い行列ができています。
カウンターの後ろの壁には、予約本がぎっしりと並んでいます。
こういうのを見ると、どこが活字離れかと思いますね。
まだまだ日本人、本好きです。
ひとつ気になったことがあります。
職員の方のおそろいのベストに「TRC」とロゴが入ってます。
前には見かけませんでした。
家に帰って調べてみると、
図書館流通センターという会社組織のようです。
どうやら図書館の運営業務を委託されているようです。
なるほど、そういうことだったんですね。
民間の会社に委託することでサービスの向上を図ると。
税金の使い方として、わたしは賛成ですね
。
やっぱりでした(^^;。
オープン後初の週末です。
人生初IKEA、2時間待ちです。
とはいえ、地元民でもポーアイは、
そんなしょっちゅう行くとこでもなし、
一緒に来たおかん仕方なく並びます。
おとんは、ギブアップです。
どこかふらふらと行ってしまいました。
並んでると、女性スタッフが、籠一杯に、
チョコヌガーを配っています。
最近のお店は並ぶ人にとっても親切ですね。
確かクリスピードーナツも並んでる人に、
自分ところのドーナツ配ってるんでしたっけ。
実際は2時間も待つことなく1時間ちょっとで入店です。
ちょうどわたしたちのすぐ後で入場制限がかかっていました。
ラッキーです。入ってすぐイエローバッグを配ってました。
これに商品を入れまくって買いまくってくれ、とのことでしょうか。
まずは2階のショールームから見てまわれとの案内です。
素直に従います。最初ですからね(^^;。
コンセプトは、ウチにおいでよ!ですね。
見て見て!うちのお部屋、素敵でしょ?!
こんなテーブルも、あんなソファも。
ほらほら、手にとって見て。
でも、残念。その場では買えないの…。
赤いタグに、マーケットプレイスでお求めください、
ってあるんです。
その場でイエローバッグに放り込みたい衝動と
闘います。かろうじて勝ちますが、なんだかなぁです。
こうしていろんなタイプの部屋を見て回ります。
えぇ、さすがに素敵なコーディネートですよ、もちろん。
そこにいる素敵な自分を想像させる、
それがIKEAの戦略なんでしょう。
そして最後にマーケットプレイスです。
ここには商品がうじゃうじゃです。
では、さっき手にとってみた商品を探してみましょう。
えーと、どこにあるんでしょうか(^^;。
広すぎて多すぎて。。。
おかんがつぶやきました。
「わたしらには向かんわ」と。
X復活しましたねぇ~。
喜ばしい限りです。実はファンなんですよぉ。
わたしにとってXというと、思い出すのは一組の男女です。
彼らとは、ニフティのあるフォーラムで知り合いました。
その頃ニフティーのフォーラムといえば、
ネットコミュニティーの主流でしたね。
わたしが東京に行ったときや、
東京の人たちが関西に遠征してきたときなんか、
よくオフ会しました。なつかし~(笑)。
遠くは北海道からも参加してましたっけ。
一次会は居酒屋、二次会はカラオケという定番中の定番でしたねぇ。
あんまり今も昔も変わってません。成長してないということでしょうか(^^;。
そんなカラオケでよく歌ったもんです、Xを。
彼らの指導のおかげで、わたし飛べるんですよ、Xジャンプ。
腕をクロスさせて、「X」の歌詞に合わせて、飛びます飛びます。
彼らのことです。
復活ライブにたとえ参加してなくとも、
この地球上のどこかで、きっと万感をこめて、
飛んでるはずです、「エーックス」と。。。
世の中にはこういう商売があるんやなぁ。。。
先週のアエラを読んで、一番印象に残ったのが、
人物ルポの「現代の肖像」で紹介されていた、
「遺品整理業・吉田太一氏」(文:村尾国士さん)の記事だ。
その中にこういう一節がある。
キーパーズ設立から3年ほど経った頃、ある老人の遺品整理の現場で、 小学生の孫息子に「おじちゃんたち、何してるの?」と尋ねられたことがある。「亡くなったおじいさんの荷物の片付けだよ」 と答えると、その子が言った。「じゃ、天国へのお引越しのお手伝いだね」その言葉がまっすぐ吉田の胸に響いた。 葬儀が遺体の引越しなら、遺品整理はその手伝いなんだ。<これは世の中に絶対に必要な仕事、 ビジネスとして堂々と主張していいんだ>と思えた。 それまで並行して続けていた引越し業もリサイクルショップもやめ遺品整理業に特化した。
すべての商売には何かしら意味がある。
その意味を見つけたら、それがその人にとっての天職となるのかもな。

子役アビゲイル・ブレスリンの演技が光るが
さらっと流れて疲れない
主演の2人の魅力を最大限に活かした絶妙の脚本『幸せのレシピ』をみた。
その中で、ケイトがニックと心を通わせたかのように見えた後、
お店に復帰すると、オーナーはニックに店を任せようとしていた。
それを感づいたケイトが厨房裏にニックを呼び出した時のシーン。
そこでのニックとのやり取りが泣かせる。
ケイト:「ここの厨房は私のすべて。私の努力の賜物」
ニック:「君のすべてじゃない。一部だ」
人生の全てをかけたもの、そういうものでも崩れることはある。
そうなったらもうお終いなのか、人生って。
そんなちゃちなもんじゃねーやろ。
人生は、いくつもの、いくつもの、
大切なものが組み合わさってできるもの。
時にその大切なものが入れ替わったりする。
それでいい。それが人生。
だから面白い。
最後の、三人の店の看板が最高。
世界で一番未来への希望が持てない国、
それが今の日本とちゃうかな。
そして、日本人が一番そう思てる。
だから株価も上がらんし、そんな国を他の国も、よう買わん。
まず、国民に、未来に希望を少しでも持てるように、
そういう政治が心底欲しい。
「アカルイミライヲ」。
そのために何が出来るか。
月並みやけど、まずは自分の一票をしっかり行使することから始めんとな。
彼のプロジェクトは失敗に終わった。
3ヶ月の間休みなく働き、月の残業時間は200時間を超えた。
ほとんどのメンバーがそういう状態で頑張った。
それでも失敗した。
長時間集中砲火の労働投下も、実を結ばなかった。
残ったのは、何名かの休職者と、ボロボロになったプライドだけだった。
親会社から来た部長は、客の前で堂々と、
子会社の我々の責任だと非難した。
守ってやろうという気概もなく、
自分たちの管理責任だと建前としての謝罪すらしなかった。
あれから5年がたとうとしている。
あれから仕事に対する気持ちが少し変った。
諦めが混じるようになった。
それでも現場に出れば、立ち向かうだけの力は残っていた。
そう信じていた。
それも怪しくなってきたと感じ出したのは、ここ1年ぐらいか。
「仕事の報酬は仕事。それが一番」だと、
ソニー創業者の井深大氏は言ったそうだ。
疲れ果てたこの身にこの言葉は、それでも、今でも響く。
不思議なことはあるもんだ。。。
昨日の晩、ベッドに寝そべりながら、
『探偵ナイトスクープ』を見終わった後、テレビを消して、
すぐに寝た。
いまどきテレビを消すといったら、リモコンにきまっとる。
今朝起きて、さぁ、テレビでも見ましょうかと、リモコンを探すも、ない。
いつものリモコンの定位置、ベッドサイドの引き出しの上にも、
もちろんない。
おぉ、きっと寝る直前に消したんやから、掛け布団の上や、
ってことで、探す。ない。
ベッド脇のゴミ箱の中。ない。
こりゃ、寝とう間に、ベッドの隙間に落ちたかと、
ベッドを動かして探すも、ない。
半纏のポケットを探る。ない。
台所を探す。ない。
ポットの中も探す。もちろんない。
洗面所を探す。ない。
トイレの中も探す。これもない。
もうえぇわ。どうせ汎用のやつやし。
ちょうど電池もへたってたし、買お買お。
さ、そうと決まったら、着替えて出かけよ。
脱ぎっぱなしにしてたジーパンを取り上げた。
…あった。ま、そんなもんやろw。
知人の息子さんが亡くなった。
享年二十二歳。
わたしの長男と同い年だ。
最後の1年は、ほぼ寝たきりで、
自宅と病院の往復だった。
今の医療ではどうしようもなかったのか。
わからない。
ただ、これだけは言える。
よく頑張ったよ、彼も家族も。
今は彼らに安らかな時を願うばかりだ。
去年も書いたかも。
まずは、キーワードは、「自律」。これも去年と一緒。
セルフコントロールやね。
次に、収支管理。
ってことで、お正月早々、DSの『がんばるわたしの家計ダイアリー』購入。
さっそく使ってみたけど、なかなか本格的。
何とか浪費癖を直したいところではある。
まぁ、この手のことをするのに、新たに出費するってところが、
「どげんかせんといかん」なんやけどなぁw;
読書は、去年年間100冊は達成できたんで、今年はその倍、
年間200冊目標に。そのためだけじゃねーけど、
3月に大枚はたいて、フォトリーディングの講座受講してみる。
なんか変るかな、って期待をこめて。
鳥の水炊きをしようと、近所のスーパーに買いだしに行った。
白菜、菊菜、生しいたけ、えのき、マイタケ、白ねぎ、糸こんにゃくと、
脇役は固めた。
主役の鳥肉を買うべく、精肉コーナーへ。
水炊きなんでもちろん骨付きぶつ切り肉を捜す。
ところが、ない。あるのは骨なしの肉ばかり。
一つ見つけたが、ブランド物でむっちゃ高い。
近所にまだ他のスーパーがあるんで、そっちに回るも、
同じ結果。ガーン…。鳥の骨付きがないなんて。
結局市場の鳥屋さんで、わざわざ頼んでももを骨付きのままぶつ切りにしてもらった。
市場の鳥屋さんですら、定番としては置いていないのだ。
確かに骨は食べられないし、ゴミになる。
でも、エキスは骨にあるのに。そこからの出汁が一番旨いのに。
消費者に手間をかけさせない、でもそのために、失っているものが
多いことにそろそろ気づくべきときなのかもしれない。
なんて、ちょっとおおげさやけどな(^^;
金曜日の夕方ごろから、まず喉が痛くなり、せきに痰がからまりだした。
椅子から立ち上がるたびに身体の節々が痛くて、
そのうち頭は熱いのに体は寒いという状態になった。
「こりゃあかん」と思って、早々に会社を引き上げて、帰宅。
その日の夜はほとんど眠れず、朝を迎えて、
すぐに近くの内科医院へ行った。
名前を呼ばれて診察室へ言って症状を訴えると、
「インフルエンザの検査をしましょ」ということになった。
綿棒を鼻の奥まで突っ込んで鼻の粘液を採取する方法だ。
先生曰く、「この検査の弱点は、10人にひとりぐらいは、
罹っていてもマイナスに出るんだよねぇ」とのこと。
結果が出るのに10分かかるというので、いったん診察室を出て待つ。
すぐにまた呼ばれて、結果を伺う。
「ほら見てみ。この青い線の上にピンクの線が見えるやろ。
これがA型の証拠や」と。人生初インフルエンザだ。
薬はタミフルを処方されることになったが、その説明でも、
「20人にひとりぐらいは、吐く程やないけど気分が悪くなる人もいる」
とのこと。ま、インフォームド・コンセントは大事だ。
結局、その後タミフルを飲んでも気分が悪くなることもなく、
「その他大勢」であることにほっとした。
今回のことで教訓一つ。
家に体温計は常備しておこう。
それともうひとつ。
医者へ行く前には、出来るだけ体温を計っていこう。
結構計らずに来ている人が多く、受付で体温計を借りて、
計っている人が多かった。少しでも、看護婦さんの負担を減らそう。
先週号のアエラに載っていた。別にウサギと関係があるわけじゃない。
漢字では、右左右左脳。
つまり自分の利き脳は右脳か左脳か、ということらしい。
判断のポイントは、
1.指を組んで下になった親指は? 左指→「さ」 右指→「う」
2.腕を組んで下になった腕は? 左腕→「さ」 右腕→「う」
1.は、インプット脳、2.はアウトプット脳を判断するという。
ってことで、以下組み合わせは4通り。男女別だと8パターン。
「うう」の女→本能の女。楽天的でマイペース。
「うう」の男→素直で無邪気な正直者。
「うさ」の女→感受性豊か。義理人情に厚い。
「うさ」の男→個性豊かな負けず嫌い。
「さう」の女→コミュニケーション上手。
「さう」の男→バランス感覚に優れた社交家。
「ささ」の女→隙を見せない完璧主義者。
「ささ」の男→まじめで誠実。デジタル思考。
ちなみに、わたしは、「うう」の男でした。
神戸空港で、イスラムの人たちを見かけた。
何でわかったかというと、一日に5回するという、
お祈りをしていたからだ。
確か聖地メッカの方を向いて祈ると聞いていたが、
そこでお祈りをしていた2人のイスラムの人たちは、
それぞれ思い思いの方角を向いて、
左手(だったかな?)にコーランらしき本を持って祈っていた。
どうやら人それぞれメッカの方向は違うらしい。
仕事で名古屋に2日いた。
それで思ったのは、名古屋はボリュームの街だということだ。
何だか無駄に広い、無駄にでかい、無駄に多い。
飲食店に入ると、やけにボリュームが多い気がする。
全体的にコスパが高い。素晴らしい。
食はわたし好み。ただ住むとぶとるだろうなぁ(笑)。
政治とカネを突き詰めれば、今の政治家は誰一人潔白ではいられないだろう。
そして、一旦全部リセットのつもりで、今の政治家を全部首にして、
ガラガラポンと、全く新たな人を選びなおしてみても、
多分普段の生活に殆ど影響ないだろう。
それはこの日本という国が、官僚国家だからだ。
日々の暮らしはお役所が支えているのだ。
それがいいか悪いかは別として、今の日本にとっては、
それが一番効率がいいんだろう。
その上に乗っかるだけでいいなら、誰でも政治家はつとまる。
前例踏襲だけで、末は大臣か(笑)。
会社の同僚がうつになった。以前は同じ部署で、よく一緒に仕事をした。
昔かたぎの技術者で、職人タイプのスキルのある技術者だった。
部署も離れ、しばらく見ないと思っていたら、
2,3ヶ月前から会社に来ていない、どうやらうつらしいと小耳に挟んだ。
驚いた。自宅に電話してみようかとも思ったが、その勇気も出なかった。
気にはなっていたが、忙しくなってきた仕事に追われ、
そのことも忘れかけていたある日、トイレから出てくるところを見かけた。
その時はタイミングが合わず、声をかけることができなかった。
昼休み、弁当を食べ終わって、彼が一人でいるところへ、歩み寄った。
「よう。しばらくやな」少しぎこちなく声をかける。
「うん。」
「どう?最近」何を話せばいいのかなかなかわからない。
もっときちんと準備すればよかったかな、と一瞬後悔が頭を過ぎる。
「ぼちぼちやな」ゆったりとそう返してくれた。
「ぼちぼちか。よかった」と、「ぼちぼち」という言葉に救われたような気がした。
そこから何を話したかあまり覚えていない。
ただ二人の間には、前とあまり変らない雰囲気を感じた。
それが少し気を軽くしてくれた。
そしてこの10月、彼の部署が変った。
これからどういう風に仕事をしていくんだろう。
ひょっとするとまた一緒に仕事をする機会があるかもしれない。
そうなっても多分同じようにやっていけるだろう、
そう思った。彼も同じように感じていてくれるとうれしいんやけどな。

先日メガネのねじを失くして困った。
メガネがないと全く日常生活を送れない身としては、
メガネ屋へ駆け込んで直してもらった。
これはもう一つ予備を買わねばと思った。
最近CMなんかでやってる激安メガネ(フレームとレンズ込みで1万円しない)で、
ちょっとおしゃれなやつがいいなぁ、と会社の近くのT.G.Cで、
上のを買った。
T.G.Cは、値段が3パターンのみ。確か4,200円・6,400円・8,600円。
上のフレームは、8,600円のもの。もちろん標準レンズだと、込みの値段。
次に視力を測るんだけど、ここの測定法は、生まれて初めてだ。
いつものような馬蹄形のどこが開いてるかを当てるやつではなく、
覗き込んだレンズの向こうに、何だか牧場の一軒家が見えて、
それに焦点を合わせたら、はい、終わり。
こんなんでわかんのかいな、と思ったら、結構正確。
だが、わたしのように度の強いやつは、どうしてもメガネが分厚くなる。
いわゆる牛乳瓶の底だ。
そこで非球面レンズにした。それでもプラス7,530円。
結局今までのメガネと遜色ないメガネが、16,000円でできた。
これは今のメガネの約5分の1。いやいや、安いわ。
今週号のアエラを読んでいると、この記事に出会った。
在日27年になるテーラワーダ仏教の高僧、
アルボムッレ・スマナサーラ氏のことが書いてある。
テーラワーダ仏教は、初期仏教、原始仏教とも呼ばれる、
釈迦の時代に書かれたパーリ語経典に基づく根本仏教のことらしい。
それを氏は、「巧みな比喩を用い、とことん明晰に、誰にでもわかる日本語にした」
ことで、日本人に知らしめたそうだ。
この仏教は、ミャンマーにも伝承されているそうで、
最近頻繁に目にする彼の地の僧侶たちの映像が浮かぶ。
中で一番気になったのは、実は写真のキャッチ。こうある。
近著『般若心経は間違い』(宝島社)では、般若心経の作者は仏教を理解していない、中身がない、と一刀両断
誰かのブログだったか、他の本だったか忘れたが、ここ最近、般若心経が結構批判されている印象がある。唯一知っていて、
一度全文を書き写したことがある「お経」なんで、
少し悲しかったりする。上記の著書はぜひ読んでみたいところだ。
最後に、氏が日本で布教するようになった理由を。
「日本人はみんな、糸の切れた凧のようで、どう生きればいいのか分からないでいる。お坊さんも、 仏教を知らないから誰も助けてあげられない。じゃ、教えてあげようかな、と思ったわけです」
この夏のお気に入りに、麦茶作りがある。
今まで麦茶はペットボトルを買っていたが、
この夏は特に暑かったせいで、その消費も半端なかった。
ある日コンビニで麦茶パックを買った。
1リットル用ティーパック54袋入りで298円だった。
それを、1.7リットルのティファールのポットに水を入れて沸かし、
そこに1袋を放り込む。30分ぐらい放置しておくと、いい色の麦茶が出来上がる。
それを空いたペットボトルに詰めて冷蔵庫で冷やす。
市販のペットボトルの麦茶が、2リットル入りで200円とすると、
約40分の1の値段で、同じような麦茶が出来上がる。
もうバカらしくて、ペットボトルの麦茶を買わなくなった。
手間さえ惜しまなければ、もっともっと倹約できるんだろう。
その他の手間も、それほどのものじゃないんだろうな、きっと。
気づいて自分でできることなら、一つ一つ増やしていこう。
倹約してどうこうしようということもそれほどないが、
無駄をそぎ落としていきたい、年を重ねるごとに。
何が無駄かは人によって違うのだろう。ただ、自分にとっての無駄を省き、
人には無駄と思われるかもしれない、でも自分には、そうでない、
そういうことにお金も手間も回していきたい。
まだわたしの中では、荻原魚雷『古本暮らし』がうろうろと残っている。
そこで紹介されている詩人に谷郁雄がいる。
読書する人は
そこにいても
そこにはいない
長い旅から
帰ってくる頃には
この世に存在しない
本の中の人々が
人生の
友人の列に加わっている。
(谷郁雄「本当の涙」)
これだから読書はやめられぬ。
きみがいたすべての場所から
きみがいなくなったって
この世のすべては変りない
あってなきがごとく
なくてあるがごとく
欄外の人生を生きてきたのだ
(鮎川信夫『宿恋花』~「地平線が消えた」より)
この境地に達したい。
何がショックって、朝弁当の仕度をしていると、
前日作り置きしたチンゲン菜のおひたし(自信作やったのに…)が、
異臭を放っていて、おまけにかすかに糸まで引いてやがる。
冷蔵庫に入れていたのに…。
仕方なく、焼鮭、冷凍の鳥の竜田揚げ、ポークウィンナ(これも冷凍)と、冷凍食品のオンパレードとなった。
彩りは見事に茶色軍団。
おかずだけでなく、ご飯の上にオカラ(これまた冷凍)を
敷き詰めたもんだから、ご飯まで茶色。
名づけて「茶一色」(チャーイーソ)(笑)。

グリコの「黒はるさめスープ ひじき練込み麺」 を食べてみる。
なるほど黒い。スープはあっさり。うま塩磯仕上げとある。
結構食べ応えもある。その割にカロリーは、80kcal
と控えめ。
次はこれの黒胡麻坦々麺を食べてみよう。

これは優れものです!
Value for money
邪魔にならなくて良い健康管理はまずは体重管理からということで、
ヘルスメーターをアマゾンで購入。
(そういえば、ヘルスメーターというと体重計だよな)
すこぶる小ぶり。
足を乗せると(わたしは25.5cm)、はみ出す。

右手前に足で押す形のスイッチがついており、
そこを蹴飛ばすと電源が入る仕組み。
乗ってしばらくすると表示が点滅し、それが止まると、
計測終了。そのまましばらく表示が固定され、
数秒後に消える省エネの仕組み。
最近ちと暴飲暴食気味(特に週末(^^;)なので、
これでしっかりとチェックしたい。
せめて、あと5kgは落としたいなぁ…。
宴会なんかで、隣や向かいに美人がいる場合、
ラッキーと思うと同時に、緊張する。
プレッシャーといってもいいかもしれない。
何とかその美人に喜んでもらいたい、
あわよくば、よく思われたい、要は下心やなw、
そんなもんがあると、特にしんどい。
まずは、何とか話を盛り上げようとする。
共通の話題を見つけることが何よりも先決。
その場合、基本は相手の話に合わせること。
このために日頃から、いろんなインプットを心がけているのだw。
ちなみに、知的レベルが高い系の美人におすすめなのは、
アエラかなw。
何とか話題が見つかれば、後は飛ばしすぎに注意。
ある程度抑えを利かせながら、着かず離れずが肝心。
何といっても、誰もがみな、彼女と話したいのだ。
それを無碍に邪魔して、占有してはならない。
そのあたり、美人な方は、ある程度の八方美人は不可欠と、
心得ておられる。だから、大人の余裕を見せて、
それを邪魔しちゃいかんw。
要はバランスが肝心で、押したり引いたり、
常に気を使う必要がある。
従って、料理なんか気にしていられない。
だから本当に料理を楽しみたいなら、一人が一番w。
でも、後の疲れは何だか心地よい。達成感があるのだ。
何といっても人一人いい気分にさせたんだから。
回りのそういう気遣いを吸い取って彼女たち美人な方々は、
より一層美しく咲かれるのだから。
写真の日付を消して欲しいとツレに頼まれた。
以下に簡単にメモ。
使ったソフトは、JTrim。
定番のフリーの画像編集ソフトだ。
まずは日付の背景と同じような背景を探す。
見つかったら、その部分を日付部分よりちょっと大きめに
選択(ドラッグ)してコピー。
編集メニューの「合成貼り付け」を選んで、
コピーした背景を日付の部分をすっぽり隠すように配置。
最後は、位置確定ボタンを押すと、見事日付が消えた。
一人サマータイム実行中。
始業時刻より1時間前に出社している。
オフィス全体では、2,3番手だが、部署では一番。
30分ぐらいは電話もならず、落ち着いて仕事が出来る。
この朝の1時間には、主に、今週やるべきことの現状のチェック、
そして今日やるべきことのチェックに費やすことが多い。
具体的に何か仕事に取り掛かるということはあまりしない。
メールもなるだけチェックしない。
頭の中を整理してすっきりさせてから、実務を開始するのだ。
こうするようになってから、一日のうちで一番仕事がはかどるのが、
この1時間の後、すなわち始業直後の時間帯になった。
本日のメインの仕事はこの時間に取り掛かることが多い。
そして一気に片付ける。
そして次のピークは、昼休み直後に来る。
ただこれは条件がある。
昼食後に15~20分眠るのだ。ぐっすりと。
そうすれば午後の始業のチャイムとともにパッチリ目覚めて、
そのまま朝チェックした、次に優先順位の高い仕事に、
取り掛かるのだ。
こうやって、わたしの仕事法は、始業一時間前に出社し、
約1時間たった始業直後の第一ピーク、
そして昼食後短時間の深い眠りを経た午後の始業直後の
第二ピーク、この二大ピークを作り出し、
そこに全力を集中するというやり方だ。
このやり方が確立された頃、退社時刻もぐんと早まった。
要は朝決めた今日やるべきことが終わったら、
さっさと帰ることができるようになったからだ。
一週間のサイクルの中で、遅れを出さない、
これを鉄則として、明日やることは明日と割り切って帰る。
あえて貯金はしない。
時に貯金しときゃよかったと思うときもあるが、
そんなときは全力でその日のうちに挽回するようにする。
そうすれば、また明日からルーティンが回せる。
こうして一定のリズムの元、日々を過ごす。
だんだんとそのリズムでできることが増えてくれば、
しめたもの。偉くなる時が近づいていることだろう。
懲りない政治家も政治家だが、
魔女狩りのようなメディアの対応も、
何だか見ていて不愉快。
そんなにメディアの人たちは偉いのか。
虎の威を借る狐とは彼らのことを言うんだろうなぁ。
しかし、「公器」という虎は、すでに張子状態な気がする。
大衆の支持を得て、彼らに成り代わって正義を行使するなんて、
もう誰も信じちゃいないし、はなはだ迷惑千万。
朝青龍の件も、同様。
確かに褒められたもんじゃないけど、
そんな大騒ぎするほどのことかい。
誰だってあれだけ監視されりゃ、精神状態ぐらい、
少しおかしくなるわな。
何でそう悪い方悪い方ばっかり、突き詰めていくんやろ。
それも、みんなそろって。
どこか一社ぐらいは、希望を語れよ。光を見つけてくれよ。
必ずそこにまた影を見つける輩は多いだろうけど、
でも、暗闇にさす一条の光だからこそ、
それはたくさんの人を惹きつけるはず。
多分うんざりしている人、結構多いと思うんだけどなぁ。
世界陸上、毎日テレビにかじりついている。
陸上を見るのがこんなに好きだとは思わなかった。
一つには、競技時間がそれほど長くないというのがある。
10000mやマラソンの長距離は別として、
それ以外のトラック競技やフィールド競技は、
最終結果が出るまで何回かトライする競技はあるものの、
大体が、数分で結果が出る。
見てるほうも集中しやすい。
それに何といっても、一発勝負という点で、
こっちにもある程度緊張を強いるというのがいい。
そのあたり、競馬に似ている。
また今回は、開催場所が、ついこの間まで
住んでいたところの近くということもあり、親近感を覚える。
マラソンコースも、馴染み深い地名のオンパレードだ。
競技場の周回路なんかは、実際歩いたこともある。
日本人選手の結果がよくない。
というか、データからすると、順当ともいえる。
ま、サッカーのワールドカップでもそうだったけど、
日本のマスコミの煽りすぎやな。
地元開催というのもあり、有利な点もあるんだろうけど、
回りの応援やら何やらで、
普通以上のプレッシャーでもあるんやろうなぁ。
なかなかそれを力に変えるというのは、難しいやろな。
よく「普段どおりの力を出せば」というけど、
状況がすでに普段どおりでない以上、その前提は崩れてる。
こういう世界の大会で勝つには、
普段どおりでなくても力が出せる、そういう状態にまで、
しておかないと、勝てないということか。
それにしても、観てて思うのは、
陸上に、事故は起こっても奇跡は起こらないということだ。
基本、記録は自らの精神と肉体の延長線上にしかない。
だからそこにあるのは、積み重ねの結果であって、
すべて想定の範囲内なんだと思う。
それでも、トップの選手のパフォーマンスには、鳥肌が立つ。
観てる方からすると、「奇跡」としか思えないほどに。
子供は大人が思っている以上に大人だ。
大人は子供が思っている程大人ではない。
(小林秀雄)
子供の中の大人な部分は、大人からすれば、
感心したり、眉をひそめられたりする、そんな程度で、
それほど実害があるわけではないような気がする。
ところが、大人の中の子供は、
時として、悲惨な状況を招いている、
最近そういうことが多いような気がする。
「10のこと」テスト。
1.
自分の醜さ、愚かさ、愛らしさ。
2.どんな些細なこと、つまらぬことも考え抜く。
もう止めよう、こんなこと、と思ってもなお。
3.相手を思っても自分の為、自分を思うのも当然自分の為。
4.相手を好きな自分が好き。
5.うまい飯もまずくなる。まずい飯もうまくなる。
6.嫌な仕事も我慢できる。好きな仕事もそっちのけ。
7.眠れない夜もあれば、目を覚ましたくない朝もある。
8.うそでもいい、とうそをつく。
9.あるがままほど難しいことはない。
10.こんなことをブログに書いてみて一人悦にいるw。
暑苦しくて済まぬw。
NHKの人がやって来た。
契約書に記入してはんこを押せ、8月分9月分を払えという。
クレジットカードで支払いの手続きを済ましていることを説明すると、
それだけではダメだとぬかす。
そんなことはクレジットカード会社のサイトには一言も書いていない、
そのサイトで必要事項を記入するだけで、
手続きは一切完了する旨あったといっても、
実際引き落としがされていない、
引き落としを始めるためには、
NHKの契約書に記入捺印が必要の一点張り。
でもすでにクレジットカードで支払う手続きをこちらはしている以上、
今この場で現金で払うのは嫌だ、
何のためのクレジットカード払いなのか、と文句を言うと、
ちょっと調べてまたすぐ来るとのこと。
その間、こっちももう一度クレジットカード会社のサイトで確認。
やはりNHKの契約手続きが別途必要なんて、
一言も書いていないことを確認。
再びやって来た集金人に、そのことを告げた。
すると、今現金で払う必要はない、
8月分からクレジットカードでの支払いになるとのこと。
ただやはり契約書への捺印は必要とのこと。
これ以上押し問答しても、一緒やと半ばあきらめて、
今ひとつ納得はいかないが、
契約書に住所氏名電話番号を記入して捺印。お引取り願った。
あ、そうそう。
途中NHKから何回か確認の電話をしている旨言っていたが、
こっちにはその記憶がなかったんで、
どの番号にかけたのか確認すると、間違いなく携帯の番号。
それでも覚えがないというと、非通知でかけたという。
あんなぁ、そりゃ出んわ。
後で架けなおすにも、架けなおせないやん。
なんかもうやだNHK。
8月8日は、「パチパチ」ということで、算盤の日らしい。
商工会議所2級のオレとしては、
その全盛期には手のひらに算盤を持っていた。
暗算のやり方は人それぞれだが、
オレは、手のひらの算盤におまかせだった。
「ご破算で願いましては~」、で次々と読み上げられる数字を、
左手の算盤に向かって右手で玉をはじいていく。
架空の玉がめまぐるしく動いていく。
「~では。」で、読み上げ終わった後の、玉の状態、
それを正しく読み上げれば、ほぼ正解だった。
算盤が暗算に役立つのは、実に、この計算の過程が、
位取り、桁上がり含め、すべて目に見えるからだ。
数字だけが一瞬浮かび上がる電卓とはそこが違う。
さらに、その一連の動きを視覚イメージとして、
目に焼き付けることができるからだ。
スライドショーより、動画のインパクトが強いのと同じだ。
今、じっと左の手のひらを見る。
そこにはもう算盤はない。
あるのは深く刻まれたしわのみ。
先週の金曜日に交通事故にあった。
こっちは自転車、相手は車。
交差点の赤信号に全く気づかず、自動車の運転席側の
ドアにもろに突っ込んだ。全くのこっちの過失。
幸いお互いそうスピードを出していたわけでもないので、
跳ね飛ばされるというよりは、そのまま後ろに倒れこんだ形。
それでもしばらく起き上がれなかった。
救急車を呼んでもらって、人生2回目の乗車。
バイタルは正常。ふーん、今は指先ちょっとつまむだけで、
わかるんや。
近くの救急病院に運び込まれて、レントゲンを撮ってもらって診察。
肋骨と腰が怪しげってことで、痛み止めと湿布をもらって、
その日はタクシーで帰宅。
後日診断書を書いてもらいに再度訪れると、
はっきり調べましょうってことで、人生初CTスキャン。
足元の輪っかの中に出たり入ったりすること5分。
結果、肋骨1本折れてますってことで、全治3週間。
ツレの母上が、癌になった。
大腸がんだった。
めったに病院へ行かない人が、
おなかが痛いといって病院へ行った。
腸炎だったらしい。
そこで撮ったレントゲンに、癌が写っていた。
今だからいえるが、よくぞ腸炎になったもんだ。
そしてよくぞ病院へ行ったもんだ。
まだまだ死ぬな、そういうことなのかもしれない。
癌には完治はないと聞く。
「寛解」が最良の状態と聞く。
いったん癌になったら、あとはそれとともに、
生きていくしかないのだろう。
癌というのは、自分の中に「死」を包み込む、
そういう病気なんだな。

こないだ行った友達の店で、福岡の麦焼酎「萬々」(まんま)を飲ませてもらった。友達曰く、「あまり関西では扱っていない」とのこと。
蔵元は、光酒造というところ。
萬々は、麦は麦でもはだか麦が原料とのこと。はだか麦は、普通の麦とは別種で、糖質分が高く、味が濃いとのこと。
ま、薀蓄はこれくらいにして、ロックで飲んでみる。
非常にすっきりとした味わいだ。
変な甘みとかがまったく口に残らない。
と。この酒は、ここからが面白い。
飲んだ後の息が、おいしいんだな、これが。
口で息を吸うと、爽やかさが口から鼻腔へと、
すうーっと抜けていく。
こりゃええわ。
あと謎なのが、首のところの紐の色が、違うところ。
3本あったが、それぞれ色が違っていた。
なんか区別してるんかなぁ。
知っている人がいれば、教えてもらえるとうれしい。
「次や、次」ってのが、感想。
今回の結果は、前回の郵政選挙での自民党圧勝の揺り戻しやろ。
自民党が勝ったんはええけど、ちと勝たせすぎた。
結果、自民党も国会運営なんかでは、調子こきすぎた。
そこへ、自滅気味の閣僚の事務所費問題やら失言。
で、とどめは年金。
勝たせすぎたって理由だけで、
支持しないっても、芸がないところだったが、
これで有権者は心おきなく、懲罰投票できた。
国民のバランス感覚が働いたといえなくもないけど、
バランスというよりは、勝たせすぎによる自民党の
暴走にブレーキ踏んだってとこか。
阪急の庄内に友達が店を開いた。
BARだ。カウンターと小さいテーブルがあるだけの、
10人も入ればいっぱいのお店だ。
別に飛び切りうまい料理が出てくるわけでもなく、
そこでしか飲めないカクテルやお酒があるわけでもない。
ただ、ゆるゆると、のんびりと。
そんな時間を過ごしたくて、ちょっと寄ってみる。
でもやはり商売である以上、
ある程度お客さんにも来てもらいたい。
今の時代、ブログの一つもやってみるかと、
ブログを手伝ってみた。
だからちょっと宣伝。
マスター、いいやつです。
今も昔も一番好きなアイス。
今日会社の帰りに駅ビルのスーパーで、買って帰った。
ラムレーズン3個(1個80円)と、
クラッシュマカダミア2個(1個100円)。

期間限定物には弱い。
袋のケニアグッズプレゼントに引かれて、
サイトに行ってみた。
ほうほう、なかなかええやん。
特にケニア特産工芸品「手作りサイザル麻バッグ」は、
実にそそられるやん。ちょっと欲しいかも。
毎日の通勤でよくあるおばさんと一緒になる。
プライドが高そうで、どこかの高校のベテラン教師という感じ。
若い頃は結構美人だったと感じさせる。
で、そのおばさん。
ぎゅうぎゅうの満員電車の中で、
自分に何か触れるたびにそちらをきっとにらみつけるのだ。
そもそも満員電車なんで、誰とも触れないなんてありえない。
だから誰も気にしない。
横で直接関係のないオレだけが気にしてるw。
満員電車ってのは、ある意味時空間限定環境暴力だよな。
8時2分の快速電車前から10両目の車両の前から3つ目のドア付近ってな感じの。
少し時間をずらすなり、乗り降りするときに、
ちょっと移動する距離を長くするなりすれば、回避可能だ。
それをわざわざ同じ時間に同じ場所に乗るんだから、
そりゃあんた、確信犯やがな。
限定・高密度・閉鎖空間好きとは、センセ、マニアやのうw。
先週の日曜日、友人と国道2号線沿いの歩道を歩いていると、
突然友人が、「ちょっとあれ見てみ、きれいやで」と、
騒ぎ出した。
友人の指差す方向を見ると、黒い蝶がひらひらと舞っていた。
「くろあげはやろ」と、虫の苦手なオレは、こわごわ見ていた。
「とんぼちゃうか、あれ」と友人はまだ騒いでいる。
言われてみると、確かに蝶としては全体的に細い気がする。
ただ、トンボはあんな舞うような飛び方はしないだろう。
少なくともそんなトンボは見たことがなかった。
すると、止まった。羽を縦にたたんでいる。
やっぱり蝶や。羽を縦にたたむトンボはこれまた見たことないし。
でも次に飛び立った瞬間、黒い細い羽が4枚見えた。
今度は、あんな羽の蝶は見たことないと思った。
そして更に。
体が細くやけに光沢があるのに気付いた。
メタリックな紫という感じ。
あの体はトンボや。蝶やない。
ちょっと呆然としながら、オレと友人は、
その虫があまり素早しこくない飛び方で、
遠ざかっていくのを見ていた。
帰ってネットで探してみると、
どうやら、ハグロトンボかアオハダトンボのどちらかのようだ。
写真の雰囲気からすると、アオハダトンボのようだが、
こんな街中で見かけるような種類じゃなさそう。
いやしかし。
久しぶりに虫について調べたわw。
世界最大の携帯電話メーカーNokiaの技術者が言った言葉。
コミュニケーションもモチベーションも、自己啓発系キーワードとしては、最重要キーワード。それを繋ぎ合わせたんやから、そりゃもう、 最強やわな(笑)。
ま、とりあえず、「話せばわかる」という能天気なほどの前向きさを感じる。
そう、世の中言うたもん勝ちなんやから。
ハンカチとハニカミ。両王子とも、「王子」なんだな。「王様」という絶対権力者じゃない。要は二人とも、圧倒的な力の持ち主だとは、 まだ世間は見ていないということか。
例えば、江川は、高校生の頃、「怪物」と言われた。理解できないほどの凄さというのを世間が感じだ証だろう。
「王子」には、まだまだ成長途上、これからこれから、という意味が色濃くこめられている気がする。
ハンカチ王子こと斎藤祐樹君は、自分も回りもかなりコントロールできる感じ。高いレベルで安定しているが、爆発力はあまりない気が。
一方ハニカミ王子こと石川遼君は、自分の笑顔に点数をつけるとこなんざ、ちょっと調子に乗っているところがあるけど、 これは乗せるマスコミのせいかな。それかサービス精神が旺盛なのか。案外いまどきの高校生、それぐらい計算済みか。
いずれにしろ両王子とも、したたかだとは思う。で、今の時代それは美点だし、多分回りに潰されたりしないだろう。というより、 潰されそうになったら、うまく回避するだけの力はあるんじゃないの?
なんか人生で大きな喜びがあったようなタイトルだ(笑)。でもある意味そうかも。 引っ越した先のマンションにフレッツ光プレミアムマンションタイプが引かれていたのだから。
先週の日曜にNTTの人が工事をしにやって来た。それ以来、かつてないほど快適なネット生活を送っている。 いろんなソフトの最新アップデートをはじめ、大きなファイルのダウンロードを伴うことを片っ端からやった。 今までの時間課金のPHSカードでは怖くて出来なかった。それから、iTunes。サルのように購入している(笑)。楽曲はもちろん、 ミュージックビデオにまで手を出してしまった。だって早いんだもん(笑)。
あ、Google Earthも。地球をわが手に(笑)。
それと、YouTube。改めてこのサービスのすごさを実感中。 これがこの先のテレビ含めた映像配信のスタイルを決めていくのかもしれない。
そう、光は世界を変える。(笑)が止まらない(笑)。
引越しをしてみて初めてわかったことがある。収納好きだということだ。整理整頓好きといってもいいかもしれない。ただ、 ルーティンとしてはダメ。最初だけなような気がする。
一から自分でベッドや箪笥などの配置を考える時、デッドスペースをどこにするかを考える。あまり自分の動線上にないスペースだ。 そのあたりにものを集中的に配置する。どうせそこには行かないんだ。少々ものがあってもいい。そのかわり、自分が動き回る周辺は、 ゆったりとしたスペースであって欲しい。それが基本。
物をじかに裸で置くのが嫌だ。何か箱なりケースなりに入れたい。そういう時、今は100均に行けば、 ありとあらゆるサイズのプラスチックケースがある。メジャーで縦横奥行きを測って、しっくりと来るサイズの物を探す。 それだけで1時間近く平気で時間が過ぎる。そうやって100均に行く度に、1000円近くそういった収納製品に費やす。
台所まわりは自信作だ。誰かに見て欲しいぐらいだが、生憎一人暮らし。親に見てもらっても、親の方が上手だから、 あれこれアドバイスしてくる。そうするとまたそれを試してみたくなる。せっかく一段楽したのに。
こうして整理収納がルーティン化するのだろうか。
先週末に引越しをした。自分ひとりだけで部屋を決めて引越しの準備をするのは実は生まれて初めてだったりする。 40年以上生きているのにな。
生まれた場所(大阪阿倍野)から育った場所(神戸東灘)への引越しだ。親の近くだ。歩いて3分ぐらい。親も年だし、 何かあったらすぐ駆けつけれる距離。今回の引越しの一番大きな理由でもある。
元の部屋は、2K。だから今回も最低2Kは欲しかった。2件ほど引越し予定の地元の不動産屋を巡った。 2Kというのはなかなか今どき少ない。案の定築年数の古い物件が多い。オヤジの一人暮らしなので、築年数にはあまりこだわらない。 優先順位は低い。間取りのほかは、風呂とトイレが別、シャワーつきが、優先順位の高い条件だ。6件ほどピックアップしてもらって、 最後に決めたのは、昔の市営住宅のような感じの集合住宅の3階。間取りは2K。風呂とトイレは別。シャワーもある。 おまけにNTTのフレッツ光プレミアムマンションタイプが引いてあるとのこと。これで家賃が6万ちょっと。 オレの収入からするとぎりぎりのところだな。
引越しは不動産屋(エイブル)配下の業者に頼んだ。フリープランという、日にちは指定できるが、時間はお任せという一番安いプラン。 元の部屋に見積に来てもらう。何とか2トン1台に収まるとのこと。その日から置いていってもらったダンボールに荷物を詰めて準備に入る。
引越し当日は晴れた。わずか1時間足らずで荷物を運び出し、引越し先へと2トントラックは出発。 こちらは通勤鞄とショルダーバッグの2つを提げて電車で移動。1時間弱ほどだ。
着いたらもう荷物の運び入れは終わっていた。 電話で引越し業者のトラックが出る前に親に連絡をして事前に鍵を空けておいてもらったのだ。支払いを済ませて(高速代込みで7万弱)、 部屋に上がる。真ん中の4畳半に段ボール箱を全部集めている。この日はここまで。 実質2時間ほどで大阪から神戸へのオヤジひとり暮らしの引越しは終わった。
とうとうというか、あっさりというか。
息子の携帯に電話して、ルームシェアしている友達も一緒に誘って3人で飲んだ。二人ともあまり酒は飲まないようだ。最初に頼んだのが、 カシスオレンジ、以降はウーロン茶。こっちもビールにチュウハイと軽め。まさかベロベロになるわけにもいくまい。
食は二人とも太いので安心した。居酒屋を出て、カラオケへ。2時間ほど歌った。息子のうまいのには驚いた。 わたしに似たということにしておこう。
そんなに構えることもなく、感慨もなく、普通に飲み食いした。これなら、また飲めそうだな。

友人にツアーガイドがいる。何かあげようと思った。最初に浮かんだのがお守り。他にもいろいろと考えてはみたが、 最初のお守りが消えなかった。
そこで、「旅の神様」でググってみた。なるべく家の近所がよかった。見つかったのが、「坐摩神社」。「ざま」でも通るようだが、 正式には、「いかすり」と読むらしい。
本町にある。オフィス街のど真ん中だ。自転車で出かけてみた。約30分弱で到着。境内には誰もおらず、お賽銭をあげて拝んだ。 それから社務所に行き、1,000円のお守りを買って帰途に着いた。
お守りに描かれているシンボルは、白鷺らしい。なかなかかっこいい。それと霊験あらたかとはまた別問題だろうけど、 かっこ悪いよりはいい。罰当たりかな(^^;
先日朝の情報番組「ズームインスーパー」を見ていると、尾道と今治を結ぶ通称「しまなみ海道」を自転車で渡ることが、 団塊世代を中心にちょっとしたブームになっているらしい。
ルートは、尾道→向島→因島大橋→因島→生口橋→生口島→多々羅大橋→大三島→大三島橋→伯方島→伯方・ 大島橋→大島→来島海峡大橋→今治。6つの島と6つの橋を渡る、全長80kmの海の道だ。
自転車は、14ヶ所のレンタサイクルターミナルのどこでも乗り捨て自由とのこと。だから、体力や体調に合わせて、途中でやめて、 そこから船やバスに切り替えるなんてことも出来る。
料金も、レンタサイクル代や渡橋料あわせても、2000円かからない。
詳しくは、「SHIMAP 【サイクリング】」などのサイトをご覧あれ。
そそられる。季節的にもちょうど今なんか最高かも。もうちょっと前に知っておけばなぁ。夏はともかく、秋に予定しようかな。
文庫本・水滸伝7巻の解説にあった。気になってググってみた。
「死んだ男の残したものは」などのサイトに、歌詞が載っている。
死とは、そこで終わるということ。だから何も残しはしない。生きているものが、すべてなんだ。生きているものが、忘れない。 残すということはそういうことだと思う。
iTunesで検索してみる。デュークエイセスとか、クラシックの新垣勉とか、夏木マリなどが歌っている。聞き比べて、夏木マリを買った。最初はアカペラ、途中でジャジーになる。なんか気だるくていい。
どこか似ていると、ふと思った。
どちらも溺れる。
どちらも好きな人は死ぬほど好きで、嫌いって言う人も、本心ではどこかあこがれている。
なければないで生きてはいける。
ただあれば人生は楽しい。
ただ過ぎると孤独でもある。
多分、あるときには、まったく似ても似つかぬものと思うんだろうなぁ。。。

コンキチ&ナターシャの絵本ナビ
卒業と訣別の物語
過去、未来、世代空が青かったら、どこかへ行ってしまうしかない。
人生なんてそんなもんかもね。意外に簡単なことで出来ている。
そんな気がするよ、この本を読むと。
死んだ親父に振り回される家族の姿が描かれる。特に子どもたち。誰だって、親に恨みのひとつぐらいはあるし、 親に言えないこともないなんてわけがない。それでも、いつかパラソルの下で、のんびりとビール飲みながら、 青い空と海を見るのも悪くないよなぁ。
こういう一節がある。
誰の娘であろうと、どんな血を引こうと、濡れようが濡れまいが、イカが好きでも嫌いでも、人は等しく孤独で、人生は泥沼だ。 愛しても愛しても愛されなかったり、受け入れても受け入れても受け入れられなかったり。それが生きるということで、命ある限り、 誰もそこから逃れることは出来ない
もひとつ。印象的なフレーズ。
人は人を忘れる。けれどまた思い出す。
シンプルだけど、そういうもんだわ。楽になる一冊だった。
彼女が言った。あの人を見て。世界中の不幸を背負い込んだような顔をしてるわ。本当にそうだったら、どんなにいいだろう。 残酷な私がそうささやく。不幸は遍くある。だが同時に幸福も遍くある。それを忘れないようにしよう。
人は老いる。
老いとは孤独になることだ。
そしてみなたいてい孤独には強くない。
だから誰かが欲しい。
ただ老いは人を遠ざける。
自らも欲するのに遠ざけるし、人も寄ってこない。
若さとはまったく逆なのだ。
それでも何か癒されるものがあれば、
それこそが豊かさなのかもしれない。
誰かがそばにいてくれるなら最高だし、
そうでなくても、なにかあればいい。
それが本でも土でもいい。そう思う。

そう難しくもなく
易者という名のコンサルタント
心が微妙に揺れる誰でもない、主人公の女占い師が、一番の強運の持ち主だった。
「ニベア」「ファミリーセンター」「おしまい予言」「強運の持ち主」の4編。女性占い師とその同棲相手を中心とした連作。
瀬尾まいこの書く女性が好きだ。ほぼ同じようなイメージがある。スレンダーで、よく見ると美人。スタイルはいい。 すっとした植物的な感じ。メガネがよく似合いそう。でもダメンズウォーカーっぽい。
この話も例に漏れずそんな女性が主人公。「おしまい予言」が一番。
感動のアニメなんていう番組では必ず一位になるアニメ『フランダースの犬』。あの最終回は、ハッピーエンドだよな。
だってネロ、最後笑ってたよな。パトラッシュも。脇を天使たちに持たれて、ゆるゆると微笑んでいたよな。
はたからみたら、かわいそうなんだろうけど、ネロも言ってた。「もう疲れた」って。ネロにしちゃ、結構いい死に方だったのかも。 最後に夢だったルーベンスの絵も見れたし。
ネロ、お疲れさん。今までよくがんばったよな、おまえ。そろそろゆっくりしてくれや、ってことで、おぉ、やはりハッピーエンドだな。
例えば、どこからともなく声が聞こえる。その声に従うと、いつの間にか面倒なことが起こり、しまいには、回りに誰もいなくなる。 そんな人が来たとしよう。
そのとき、その人が聞こえると言う声をどう判断するか。気のせいで本当に聞こえているわけではない、 その人自身の内なる声だという判断。それとは別に、その人には実際に聞こえているんだ、という判断。
さて、あなたがその人なら、どっちの判断をする人を必要としますか。
わたしなら、まずこちらの言い分を受け入れてくれる人だな。そこからでないと始まらないと思うからだ。
このごろ人生の終わり方についてよく考える。最期のイメージはある。誰にみとられることもなく、静かに終わりたい。そのために、 少しずつ今までの関わりを薄くしていく。新たな関係も求めない。
少し前に、『本の雑誌』の「笹塚日記」を読んでいると、ぐさっときた一節があった。今までの友達、家族、仕事、お店、趣味。 とにかくもうこれ以上いらない。今までの中でこれから先もう十分生きていける。そんなことが書いてあった。
今まで築いてきたものに十分満足しているわけじゃないけど、ここから、そこに加えていき、自分の満足を追求するのはもうしんどい。 そのエネルギーがないというより、あったとしても、そういう方向にはもう使いたくない。
多分人から見れば寂しい人生だったと言えるのかもしれない。惨めな最期なのかもしれない。誰もが最期は一人で死ぬのなら、 そこは自分のわがままでいいよな。自分だけ、よかったと思えるなら、それでいいよな。
石井桃子さんが100歳になったらしい。誰もがこの人の訳した童話や絵本を一度は読んだことあるだろう。まさに 「あなたの本で育ちました」だ。そのリードのアエラの記事の最後にこんな一節があった。
本は友だち。一生の友だち。子ども時代に友だちになる本、そして大人になって友だちになる本。 本の友だちは一生その人とともにある。こうして生涯話し合える本と出会えた人は仕あわせである。
本なくしてわたしの人生もない。本さえあれば生きていける。だからまだまだ生きていけるなぁ(笑)。
ドラマなんかで登場人物が誰かからの手紙を読むシーンがよくあるが、そのとき大体手紙の送り主のナレーションがかぶったりする。
あれってほんとに、そういう手紙があればいいよなぁ。恋人からのラブらぶな手紙を、そのまま愛しい人の声で読み上げてくれたり、 遠く離れた家族からの手紙を、妻だったり、子どもだったり、親だったり、とにかく自分のことを気遣ってくれる相手の声が、そこから聞こえる。 何よりの癒しになるだろう。
手紙は、二人の世界だ。あなたとわたしの二人称の世界。話し言葉ではなく書き言葉を相手の声で聞く。 ありそうでないそのシチュエーション、ちょっと面白い。

大阪城公園の梅林に行ってきた。
駅を出ると結構な人出。
ほう~、梅見も人気か、と思いきや、
GLAYのコンサート目当ての人だった(笑)。
でもまぁ、梅林にも、GLAYファンが目立つなど、
それなりに、人出もあった。
梅って、桜と違って近くで見るものよなぁ。
花としては、桜よりも、種類が多くて、楽しめるかもしれない。
今読んでいる本にそういう表現があった。それを壊すと自分が自分でなくなってしまう、そういう部分。
私の場合は、以下。
なんだかさびしい考えばかりなのかも。でもさびしい考えイコールさびしい人生とは限らない。いや、そうでもないか(笑)。
作家の川上弘美さんが、こう語ったそうだ。
このテーマでこういうすごい小説を書こう、ということがほとんどなくて、私はただ文章を書きたいんです。内容は実は何でもいいんです。
結局、そういうことなんだろうなぁ。人よりその思いが強く、かつ、長く思い続けることができる、そういう才能があるんだろうなぁ。
こっちも強さはともかく、細々と、ただ書きたい、それだけではある。
ということでこの正月休みに買ったものをつらつらと。
東芝QosmioF30。これはSONY VAIOの後継として、購入。初めて持ち歩くことを前提としないノートパソコンとして購入。 大きな液晶、harmanのスピーカーと、AVパソコンとして結構満足。
ちょいテレ。ワンセグ放送受信デバイス。これをQosmioとつないで、とりあえずTVも視聴可能。
PORETERのB4サイズのバッグ。色はダークブラウンで、なかなか薄くておしゃれな感じ。チャックを開くと蛇腹になっていて、
そこが気に入って買った。
GAPのダウン。これも色はダークブラウン。あったかくて重宝している。
SIIのAX420S。AIR-EDGEの4パケ用PHSデータ通信カード。 今まで使ってきた64K用のSIIのデータ通信カードの後継。契約もネット25に切り替え。
ま、こんなところかな。ざっと30万使っちまった。
梨木香歩『家守綺譚』にこうある。
疎水の両岸の桜が満開のまま、しばらく静止を保っていたが、 ついに堪えきれず、散りに入った。
そう。美しすぎることに堪えられないのだ。すべからく、美しすぎるものは、 支えきれぬ。滅びをその中につつみこむ、桜の美とはそういうものかもしれない。
というものは不思議なものだ。
というのも、先日とある研修を受けたんだけど、 その講師の先生の声や語り口が、あのギネス認定司会者に、そっくりなのだ! どうにも説得力がありやがると思ってたんだけど、それに気づいたとたん、 またいっそうパワーアップしやがったように感じた。おそるべし、 み○○○た(笑)
高村薫さんは、こう語った。
「わからないことをどれだけ持っているか」が
人生の豊かさじゃないでしょうか。
(『AERA』2006.12.4 P21)
わからないことだらけだけど、これで豊かなんだろうか?
わが身を省みてこう思うわけだけど、はたと気づいた。
ここから考えんとあかんのやって。
「わからーん。やめややめや」じゃ、あかんのやと。
一番好きな暖房器具は問われれば、すかさずコタツと答える。
そのコタツを出した。わたしの中では、いよいよ冬本番だ。
スイッチを入れてしばらくすると、あの独特なコタツ臭が、
こんがりと漂い出す。出したての今はまだ懐かしく、
いいにおいと感じる。じきに蒸れた熱っぽい臭いに
変じていくんだけどね(^^;。
ところでうちの場合、暖房器具はコタツのみ。
そしてこれこそが正しいコタツの使い方だと信じている。
コタツは断じて他の暖房器具と併用してはならないのだ。
部屋が例え氷点下を記録しようとも、コタツのみ。
周りが寒ければ寒いほど、コタツは引き立つ。
がたがた震えながら、足をその中に突っ込む。
頭寒足熱、それこそが暖房に求められる基本であり、
コタツはその忠実なる僕なのだ。
ストープやヒーターなどで、部屋の中をあったかくすることで、
コタツを裏切ってはならない。
コタツこそが人をひとつにする冬の中心なのだ。
…でも、一人のコタツはさびしいものがあるのも確かだ。
米原万里『他諺の空似』にこうある。
男は常に欲し、しかれども常に出来るとは限らず、
女は常に出来、しかれども常に欲するとは限らず。
ああこの人類の実存的矛盾。
今週号のAERAの「齋藤孝のサイトー変換」からの孫引きだが、
さすがは米原万里。どうやら日本の少子化は、男のせいだな。
女をその気にさせる男が減ってきたってことか。
中沢新一『アースダイバー』にこうある。
人間の心のおおもとは、泥みたいなものでできているに
ちがいない。
ぐにゅぐにゅと不定形で、スマートな思考をする部分と
ぼんやりとした夢を見続けている部分とが、
ひとつに混ざり合って、人間の心をつくっている。
そういう心が集まって社会をつくっているわけだから、
それをあんまりハードな計画や、
単一な原理にしたがわせると、
どうしてもそこには歪が生まれてくる。
どうもこのぐにゅぐにゅが、硬く強張ってきているような気がする。
ぐにゅぐにゅはなるほど不安定だけども、それゆえに、
柔軟性がある。型にはまらない軟らかさ、しなやかさが、
そこにはある。
泥が乾くと、ひび割れが生じ、もろく崩れ去る。
乾かぬように、流れないように、そこそこに粘りを
持ちながら、ぐにゅぐにゅでいこう。
これもまた山本弘『アイの物語』から。
「どうすれば争いをやめられるかなんて、人間が何千年も
考えてきたけど答えが出なかった問題よ」
「いいえ。もう答えは出ています」
「え?」
「以前読んだ本に、紀元前三十年頃のパレスチナにいた
ヒレルというラビの言葉が載っていました。
ある時異邦人がやってきて、
『わたしが片足で立っている間に
律法のすべてを教えてください』と頼みました。
ヒレルはこう答えました。
『自分がして欲しくないことを隣人にしてはならない。
これが律法のすべてであり、他は注釈である』
これは単純明快で、論理的であり、
なおかつ倫理も満足しています。
(中略)
実際には、ほとんどのヒトはヒレルの言葉を
正しく理解しませんでした。『隣人』という単語を
『自分の仲間』と解釈し、仲間ではないものは
攻撃してもいいと考えたのです」
隣人とは、同じ地球に存在するすべてのもの、
もっとSF的に飛躍すると、もし太陽系に生命があるとすると、
それは地球から見たら隣人だし、太陽系外もまた、
太陽系からすると隣人、別の銀河もまた同様…。
というように、隣人という概念は、自分の拠って立つ
位置によって、広くも狭くも捉えられる。
環境というキーワードからして、
せめて、同じ地球の仲間というぐらいは考えないとな。
山本弘『アイの物語』にこうある。
「すべてのヒトは認知症なのです」
(中略)
「文字通りの意味です。あなたたちは認知症のヒトと
そうでないヒトがいると思っていますが、
それは間違いです。すべてのヒトは認知症で、
症状に程度の差があるだけなのです。
認知症のヒトの多くは、自分が認知症であるという
認識を持たないものですから」
「…どこからそんなこと思いついたの?」
「論理的帰結です。ヒトは正しく思考することができません。
自分が何をしているのか、何をすべきなのかを、
すぐに見失います。
事実に反することを事実と思い込みます。
他人から間違いを指摘されると攻撃的になります。
しばしば被害妄想にも陥ります。
これらはすべて認知症の症状です」
これはロボットが、ヒトというモデルを論理的に分析して得た
結論とのことだ。だれもが自分はそうではないと思うだろう。
そしてそれこそが既に症状の一部なんだそうだ。。。
最近エクスプレス予約のおかげで、
グリーン車に乗ることが多くなった。
エクスプレス予約を使うたびにポイントがたまり、
1000ポイントたまると、1回グリーン車に乗れるのだ。
それにしてもグリーン車で東京-新大阪に乗ってしまうと、
もう普通車が苦痛でしかたなくなる。
なんといっても楽なのがフットレスト。
靴を脱いで足を乗せるだけで、疲れが足元から抜けていく感じ。
泊まったホテルが本郷にあった。本郷といえば、東大。
ということで赤門を夜に見に行った。なんだか神社みたい。
それにしても東京は大学が多い。あちこちもう大学だらけ。
それもビル全体が大学ってのも多い。
山本弘『アイの物語』にこうある。
「君は語り部だから。物語を愛する人だから、
理解しているはず。物語の価値が事実かどうかなんてことに
左右されないということを。物語には時として事実よりも
強い力があるということを。」
ま、人生自身が物語りなわけだし。
もうすぐ冬だ。冬というと、わたしにとっては、
みかんの季節だ。一番好きな果物。
小さい頃は、かごに盛られた、さほど多くないみかんを、
朝昼晩と、飽きもせず食べる。食後は必ず、おやつも、夜食にも。
大人になって箱買いできるようになると、段ボール箱を開けて、
籠やら皿に移すことなく、そのまま段ボール箱に手を突っ込んで、
どんどん食っていく。下の方のみかんがじゅじゅくで腐る前には、
たいてい一箱開いている。
皮をむいて、二つに割って、一度に3~4房ずつ、
口に放り込む。もちろん袋ごと、白い筋もほとんど取らない。
いつもこの季節手が黄色くなるのが少しいやなんだけど、
それでもやめられないのだ。
秋は感傷的になる。一番好きな季節でもある。
そういえば、歌にもあったよな。
♪秋を愛する人は、心深き人 って。
村上龍『半島を出よ』下巻にこうある。
楽しいというのは、大切だと思える人と、
ただ時間をともに過ごすことなんだ
ずいぶんと控えめな気はするが、そこまで落として考えると、
気は楽なのかもね、と秋ゆえにそう思ったりもする。

最近のお気に入りは、明治の「チョコレート効果カカオ99%」を、
一かけらかじりながら、砂糖とクリームをたっぷり入れた
コーヒーを飲むことだ。
甘いコーヒーで苦いチョコレートが舌の上で溶ける。
これがいい感じなんだな。
「きょうだい」と聞いて、どんな漢字を思い浮かべるだろうか。
「強大」ってのもあるだろうが、まずは、「兄弟」じゃないかな。
「ごきょうだいはおられますか?」と聞かれたら、
「兄弟」とは浮かぶが、その答えとして、
「兄はいませんが姉はいます」とは普通答えないだろう。
単に、「はい、姉がいます」と答えるだろう。
でもこれが漢字として紙に書かれると、途端に、
性別がくっきりする。
組み合わせとしては、「兄弟」「兄妹」「姉妹」「姉弟」が
あるが、いずれも「きょうだい」がいることには間違いない。
こんな混乱(?)を避けるためか、ある雑誌の記事の中では、
最初から最後まで、ひらがなで「きょうだい」とあった。
なんだかすごく違和感があった。のっぺらぼう的な感じ。
確かに誤解は少ないんだろうが、音として聞いた瞬間の
判断力というか理解力というか、そういうものが、
落ちてきそうな気がしてならない。
表意文字としての漢字と表音文字としてのひらがな、
両輪そろっての日本語なんじゃねーの、と思った次第。

圧倒的なディティール
胸に迫ってきます
貧困と死、愛と犠牲、人格と破壊。村上龍『半島を出よ』下巻にこうある。
共有する感覚というのは静かなものなんだ、
モリはそう思った。みんな一緒なんだと思い込むことでも、
同じ行動をとることでもない。手をつなぎ合うことでもない。
それは弱々しく頼りなく曖昧で今にも消えそうな光を、
誰かとともに見つめることなのだ。
そばで一緒に見つめてくれる人、いますか。
いじめによる生徒の自殺、先生の自殺。
高校の履修不足による卒業危機。
警察や役所の不祥事。
いつ頃からだろう、
そんなことは一部の不心得者だけで、
大半は、ごくまじめに、普通に、勉強したり、働いているんだ、
人様のためになってるんだ、
そんなことはもう幻想だってことに気づきだしたのは。。。
世界バレー女子の日本韓国戦をテレビで見た。
3セット目の前半、韓国に最大5点差をつけられた時、
「こりゃ負けかな」と正直思った。
そこから相手のミスもありの、こっちのミスもありの、
どっちにもチャンスやらピンチがあったりの展開だったんだけど、
最後にそのセットをものにしていたのは、日本だった。
4セット目も似たような展開。やっぱり最後に勝ったのは日本。
その時に思った。今までは、こういう展開の時は、
最後に勝ってたのは、日本じゃなかった。
善戦むなしく、惜敗してたのが日本だった。
それがどやろ、今は、敵をねじ伏せるような、
圧倒的な強さじゃないけど、終わってみれば、
何となく勝ってるよ、って感じだ。
これって、本当に強くなってきてるんじゃねーの、
そんな気がした。
先日ここに、いじめに対する学校側の姿勢を、
思考停止なんじゃねーのって書いた。
ま、批判したわけだ。で、批判するだけじゃーな、
ってんで、どうすりゃいいのか考えたんだけど、
思いつかん。オレあたりが思いつくなら、
もうとっくに解決してんのかも、とは思うものの、
その中で、学校側の煮え切らない態度に、
ちょっと思ったことがある。
それは、いじめを認めるということは、
そこには、当然ながら、いじめられる生徒と同時に、
いじめた生徒がいるということを認めるということなんだということ、
そして、その生徒もまた学校側が守る対象なんだということ。
いわば、兄が弟を殺した、でもどちらも自分の子供には、
変わりないってのと、同じなんじゃねーのってこと。
ずいぶん乱暴なたとえかもしれないが、それは、
やっぱりどっかにあるような気がする。
家庭と学校。どうやら対立というか、
どっちの責任とか言ってるような場合じゃない、
それだけは、確かなような気がする。
アーロン・アントノフスキーは言う。
健康というのは病気がないということではなく、
自分自身や周囲の状況との関係の変化に際して、
首尾一貫した感覚を持ち、適切に機能する能力を
持ち続けていくことだ、と次第にわかってきた。
そう、次第にわかってくるんだよなぁ。。。
最初から知ってるんだけど、わかってないことだらけだわ(笑)。
この頃、テレビCMで、最後に検索窓が出てきて、
キーワードを入力してクリックするというシーンを、
やたら目にするようになってきた。
これってどこかが権利をもってるんやろか?
そうだったら大儲けやな(笑)。
単位が足りず、卒業できない、いわゆる履修不足問題。
また、生徒のいじめによる自殺に、教師が、
率先して関わっていた問題。
今、学校をめぐる問題が、世間を揺るがしている。
そしてこの二つには何だか同じにおいがする。
それは生徒に対する迎合だ。
お客様は神様です、ならぬ、生徒様は神様です、だ。
確かに学校の主役はそこに通う生徒たちだとは思う。
生徒たちの要望には耳を貸すことは当然必要だろう。
でも、耳を貸すことと、それを聞き入れることには、
かなり差があるはずなのに、それが感じられない。
例えば、履修不足の裏には、進学率による、
学校の選別があるという。
確かに入試に関係ない科目の授業より、
入試科目を集中的にやる方が、合格率は高まるだろ。
それを生徒も親も望んだ、だから学校側も、受けた。
分からないではないけど、そこに、「そうじゃないだろ、
そもそも学校教育というのは…」というような、
確かに青臭い書正論なのかもしれないけど、
本質的な問題提起がなされていない気がする。
いわゆる学校側の思考停止がそこにある気がする。
本当に生徒たちのことを真剣に考えての結論か、
それをもっと考えてもよかったんじゃないか、
最後の最後は、やっぱり学校側の都合を優先というか、
「おれらもそっちの方がいいよなぁ」って、尻馬に乗った感がある。
教育は、教え育てると書く。教えてはいるんだろう、
でもほんとに育ててるの?と思ってしまう。
ずっと長い間、人生はこれから始まるのだ、と思っていた。
私にとって本当の人生が。が、いつも何か邪魔が入るのだ。
やりかけの仕事、勤め続けなければならない年月や
支払わなければならない請求書。
これさえ済ませれば、きっと人生が始まる。
そう思っていたが、実はそういう邪魔なものが
私の人生だったのである。
-アルフレッド・デスーザ神父
もうすぐ四捨五入すると50になる身には、なんか沁みるなぁ。。。
北朝鮮の核実験騒動では、世界を西へ東への、大活躍。
今や、ブッシュ大統領より、この人だろう。
何でもIQ140の天才とのこと。
その頭脳の中では、今の世界情勢がさながら、
パズルのように、いつかは解けるものとして、
認識されていれば、少しはアメリカも安心なのかな。
アメリカ初の黒人大統領は、パウエル、
アメリカ初の女性大統領は、ヒラリー・クリントン、
そう思ったりもしたけど、ひょっとしたら、
アメリカ初の黒人で女性の大統領として、
このライスさん、ってのも、あるかもね。
恐ろしいかも。
ここでいうレッテルは、たとえば、
本のタイトルだったり、人のあだ名だったり、
お店のキャッチフレーズ、あるいは店名かもしれない。
小泉さんのワンフレーズなんかもこれ。
とにかく、短くて、それなりに、インパクトがあって、
そこから先へ踏み込ませない威力があるもの。
以下、つらつらと。
・それだけで、なんか納得してしまって、
それ以上詳しく知ろうという気が失せる。
・たとえ、詳しく知った後でも、
やっぱり、後から蘇るのは、
レッテルのほう。
・「鋭い」「本質を突いてる」と、
思わせるが、ほんとうにそうなのかは?
・ちょっと違うんじゃない?
って言おうもんなら、変人扱いされかねない。
・はがすのに最も効果的なのは、
違うレッテルを張ることだったりする。
・わからない不安より、
なんだかわかった気になる安心感。
・誰でも簡単にはってくれるが(頼みもしないのに)、
剥がしてくれる人は、ほとんどいないし、
自分で剥がすのは、もう大変。
・一人歩きが好きで、すぐお友達を連れてくる。
(レッテルがレッテルを呼ぶ状態)
・時に本当に当たってるだけに厄介。
・剥がれないでいるうちに、だんだんと、なじみだし、
ついには、取ろうにも取れなくなる。
…「本当の自分」ってのも、ある種レッテル?
これもまた、『本の雑誌』ネタなんだが。
鏡明氏のコラムで紹介されている、
ジョン・リランド『HIP:THE HISTORY』の中に、
ヒップの起源は何?ってのがあって、
「この言葉は、西アフリカの言葉で、
hepi というのがもと。意味は「見る」。
あるいは hipi 「目を開く」という意味の言葉。
つまり啓示とか気付くということなんだ」とある。
うーん、深い。ヒップホップってのは、
気付いた喜びで飛び跳ねようってことなんかな。
もういっちょ。
「クールとヒップってのは、同じもの?」
「同じじゃないね。少なくとも語源的には違う。
クールという感覚もアフリカからもたらされた
ものだけれども、アフリカ的にいえば、
クールは平和だったり、安定している状態を
意味している。だから、クールとは、行動様式だったり、
言ってみれば、仮面みたいなものだ。
逆にヒップは、気付きだったり、啓示ということ。
仮面の裏にある知性ということなんだ」
おっと、これもまったく同感。
穴が開いたりだとか、よれよれだったりとか、
ダメージ加工したジーンズ、
あれに納得できない理由を、
「つまり、あのダメージ加工された
ジーンズの汚れや傷みのどの一つにも、
自分自身が関わっていないという違和感。」
と、ずばり言い当ててくれている。
最後に、かつて暗黒大陸といわれた、
人類生誕の地アフリカと、
新世界と呼ばれ、現代のスーパーパワー、
アメリカ。たった一文字違い。
なんという大きな差と見るか、
あぁ、だからか、と見るか。
同根たる多様性なんて言葉がふと浮かぶ。
嵐山光三郎さんが『本の雑誌』11月号で書いた、
島崎藤村に関する一文を読んだ。
それによると、藤村は、『新生』という作品で、
自分の姪との、いわば近親相姦を、ネタにした
というのだ。それも、宗教的救済だとか、
彼女を目覚めさせただとか、要するに自己正当化したと。
まぁ、作家なんてものは、誰しもろくなもんじゃねぇ、
というのは、作家自身からもよく聞いたりする。
自分のスキャンダルをネタになんて、
ここまではありがちだろうけど、
それを自分は悪くない、むしろ相手のためを思ってだ、
なんて、そこまでいくと、氏も書くように、
「…吐き気を催す作家」と書かれても仕方ないかな。
それにしても、自然主義派の文豪として、
教科書にも載った「夜明け前」とか、
「破戒」とか、「千曲川のスケッチ」とか、
数々の名作と謳われた作品を残した作家が、
一皮むけば、単なるエロジジイだなんて。。。
ある意味予定調和すぎて笑える。
週刊東洋経済のちょっと前の特集記事。
日本人の全給料という刺激的なリード。
内容は、時給、役員格差、生涯給与の3点で、
上場会社のランキングをしようという試み。
うちの会社は上場してないんで、
出てくることはないけど、取引先とか、
親会社なんかは載ってたなぁ。
で、感想としては、うちの会社って、
そこそこかな、ってところか。。。
上見りゃきりないし、下見ても仕方ないし。
にしても、銀行がそんなにランク高くないってのは、
いつもお客さんとして接している分には、
感覚的に信じられない気がするけど、
女性の割合が高いってことと、
そのせいか平均年齢が若いってのもあって、
こういう風に統計処理すると、
ああいうランキングになるんだなぁ、と。
いずれにしろ、ランキングマジックには要注意。
めっちゃ小ネタ。
缶コーヒーのCMで、新庄選手が、インタビューを受けてるやつ。
インタビュアーの一人が、じゃ、ドイツ語でお願いします、
というんだけど、新庄の返事が、
いい加減なんだけど、どう聞いても、フランス語っぽい。
さて、こないだ携帯を変えたことはここにも書いた。
携帯の着信音は、ひとつの楽しみでもある。
とりあえずは、デフォルトで用意されているものを試してみた。
電話の着信音は、ごく普通のトゥルーーー、トゥルーーー。
メールは、ユーガッタメール女性ボイス。
メールの着信音は、まぁこんなものかと納得。
だが、電話の着信音は、すぐに飽きてきた。
トゥルー系には3つほどパターンがあるんだけど、
どれもいまいち。
そこで、前からぜひこれを着信音にしてみたいというのが、あった。
「24」のCTUで使われている内線の着信音だ。
トゥトゥ、ピープーってやつだ。
ググって見たところ、www.snake.ne.jp/~ost/ctu_ringtone2.mid
に、
MIDIファイルがあることが分かった。
早速ダウンロードして、今着信音として使っている。
それにしても、電話がかかってくると、
思わず、周囲に目を走らせてしまうのは、ご愛嬌(^^;。
東京出張の宿に日本旅館に泊まった。
いつぐらいぶりだろうか。
最近は旅先の宿はまずホテルだから、和室にはトンと縁がない。
木曜日の晩は東京の中心部はほんとホテルが空いていない。
また今回は、水曜日になって押さえにかかったもんだから、
ほとんど、われわれ安月給のサラリーマンが泊まれる、
そこそこのホテルは一杯で、旅窓で、安いもの順で、
ソートしてみても、ほとんどがカプセル。
そんななか、会社にも近く(山手線で一駅)、
駅からも近くて分かりやすい、値段もリーズナブルとくれば、
和室だろうが、トイレと風呂が共同だろうが、おけおけ。
果たして、そのお宿は、三田にあり、
斜め前に慶応大学の正門がある。
その夜は、雨が結構な降りで、すぐ目の前に聳え立つ
東京タワーも天辺が雨に煙って見えない。
なんとも幻想的な眺めだった。
格子戸を開けると、玄関。
昔住んでた共同アパートを思い出した。
おばさんが出てきて、名前を告げると、
早速部屋に案内してくれる。
中に入ると、部屋の中央に座卓、奥には布団が延べられている。
いやぁ、これこれ、この風情。
もちろん座卓の上には、お茶のセットとお茶請けのおかき。
テレビはリモコンがなく、チャンネルごとに、
押しボタンがついている。どれくらい前のかわからない。
電源もボリュームと一体で、回すと電源が入り、
そのままボリュームアップしていく。
なんだか、さっき見た東京タワーといい、昭和だ、昭和。
内風呂に入った後、部屋に戻って鍵を閉めようとしたところ、
壊れてて掛からない。引き戸に鍵はあわねーよなと思いつつも、
ちょっと無用心。でも気にせず眠ることに。いいんだ、別に。
正しい日本旅館の朝食というのもありかとは思ったが、
あまり時間もないので、早々にチェックアウト。
帳場には、老婦人3人が朝早くからきちんとスタンバイ。
精算してもらって、ずらりと並べられた靴から、
自分のを指さすと、それを目の前に並べてくれる。
このあたりはビジネスホテルでは絶対ありえない。
丁寧な挨拶に見送られて、格子戸をひき開けると、
降り止まぬ雨が、待ち受けていた。
なんだか妙に合うよなぁ(笑)。
「人生って、大部分が幻想なのではないかしら」
「どういうことかね」
「だって、過去の出来事はすべて記憶でしょう?」
「確かに」
「そして未来は想像だわ。どちらも幻想よ---
記憶は信用できないし、未来については、
推測するしかできない。
絶対に現実であると言い切れるのは、
いまこの瞬間だけ---
しかもそれだって、想像から記憶へ刻一刻と
変化し続けてるわ。
ね?人生の大部分は幻想なのよ」
-ジェフリー・ディーヴァー『魔術師』
そうか…、人生の大部分は幻想か。
なんと面白いもんだ、人生ってやつは(笑)。
約3年ぶりに携帯を買い換えた。
SHの252というドコモのmovaを、FOMAに機種変更した。
ものは、N902iS。折り畳み式。はじめてのNだ。
携帯は、PHSの出始めから使っていて、そのときは、
シャープのPHS、それからソニーの携帯に買い換えて、
後はDの三菱、Pの松下、SHのシャープと、
ほぼ毎年のように買い換えてきた。Fの富士通と、NのNECは、
買ったことがなかったんだが、今回初のNとあいなった。
選んだ決め手は、色とサイズの適当さ。
質感はちょっとおもちゃっぽくて、あまり好きじゃないけど、
まぁ、一生使うつもりもないし、鼻につきゃ、
また買い換えればいいし、という軽いのり。
使ってみて一番よかったのは、スピーカーモード。
家で一人でいる時に、電話で話す時など、
電話をテーブルの上に置いたままで、話ができる。
いわゆるハンズフリーだ。とても楽チン。
ただ、電話が長くなるのが玉にキズ。
先日中一の娘の運動会に出かけた。
雲ひとつなく「天高く…」の言葉通りの秋晴れの空の下、
さわやかな時間を過ごせた。
気づいたことを2,3。
まず生徒数の少なさ。全学年で420名ほど。
我々の頃は1学年でそれぐらいいた。3分の1だ。
こういうところで少子化を痛感する。
最後の組体操でのこと。クライマックスの4段のやぐら。
演技の前に、先生たちが下になる生徒の背中に、
白い滑り止めを塗りたくる。汗で滑って怪我をしないようにとの処置
なのだろう。もちろん安全に配慮は必要だろう。
ただどうしても自分たちの頃と比べてしまう。
そんな滑り止めを塗ってもらったこともないし、
汗を拭くまもなく、ある種の緊張感が満ちていて、
今よりはずっと「規律」的な動きだったと思う。
いい意味で、生徒と先生、そして親たちの間に、
信頼感があったように思う。その中で起こった少々の怪我は、
何も問題になることもなく、むしろ勲章として、記憶に残っている。
数が減っていることで、競争も激しくなく、
余裕があるはずなんだけど、なんだか全く
そんな感じがしない。どこか追い詰められた
余裕のなさを感じてしまう。危ういバランスの上に立っていて、
少し揺れだすと、元に戻れない、そんな脆さを感じる。
そんな想いとはうらはらの秋の空は、なおも青く高い。
今日ぐらい、気持ちのいい空と風に身を任せよう。
個人的に思うところをメモ。
ただ、終わらないプロジェクトはない・・・。
最近読み終わった『本の雑誌』10月号で、
バカバカしくも興味深い試みのレポートがあった。
バイトの大学生に今までほとんど詠んだことのない
ジャンルの本を1ヶ月読んでもらい、
身体にどんな変化が現れるか、というものだ。
試みは、以下3パターン。
1.岩波文庫ばっかり読む
2.SFばっかり読む
3.少女マンガばっかり読む
詳しくは、『本の雑誌』10月号を読んでもらえるとわかるが、
簡単に言うと、痩せたらしい。
さぁ、読書の秋、よく食べてよく読もう!
さすれば、食欲の秋も怖くない、ハズ(^^;
カラスの賢さを示すエピソードのひとつに、
硬い木の実を道路に置いて、車に轢かせる、
ってのがある。
カラスがやると、「おぉ~、頭いいねぇ~」と、
感心されるが、同じぐらいの知能といわれる幼児がやると、
「なんて危ない」と、親どこ見てんだよ、という非難の厳しい
視線突き刺さりまくりだ。
そんなカラスの小賢しさを嘲笑うかのように、
BMWの車は、そのステアリング性能のよさを強調すべく、
カラスの置いた木の実をクイクイッとかわしていく。
なんだか大人気ない。ええやん、木の実ぐらい。
期待通りに潰してやれよ。
高級車のイメージが泣くよ、BMWはん。
今日衝撃的な記述をある雑誌で発見。
なんと食パンの5枚切りは、全国的なものではないというのだ。
ありえない。
確かに4枚切りやら6枚切りもあるにはある。
でも、近所のパン屋に夜遅く行くと、残ってるのは、
必ず4枚切りか6枚切りなのだ。
だから、ここのご主人は、わたしが行くと、
わざわざ、一斤の食パンを5枚切りにしてくれるほどだ。
だって、毎朝トースト1枚ずつで、月曜日から金曜日まで、
きちんと賄えるんやで。
4枚切りだと、もう1食買わんといかんし、
6枚切りだと、いつもよりゆっくりできる土曜の朝まで、
トースト食わんとならん。それはあかんやろ。
男やもめのサラリーマンにとって、食パン5枚切りは、
常識なのだ。ちなみに、夏は、月曜の晩には、
冷凍庫へ移すのが、これまた常識だ。
こないだ電車に乗っていたときのことだ。
ふっと車内のあかりが落ちた。
夜も遅かったので、まわりも暗い。
するとどうだろう、そこここで、
ぼうっと、乗客が浮かび上がるのだ。
携帯の液晶の反射光だ。
そうかと思えば、右斜め前の女性の胸辺りが、
点滅している。携帯プレーヤーのリモコンだ。
内面からの輝きで発光する、なんてのは、
小説の世界で、現実の夜遅くの電車の中、
発光する人々の顔が、一様に、
なんだか疲れ、寂しそうなのは、自分がそうだからかな。
やがて車内にあかりが戻ると、
今まで、熱心に手元を見つめていた人たちが、
いっせいに顔を上げるのが、なんだかおかしかった。
その顔は、やはり疲れと寂しさが入り混じっているようにも見えた。
わたしの話には、「いわゆる」という言葉が多い。
以前誰かに指摘されて以来、自分でも「多いよなぁ」
と意識しだした。意識してはいるんだけど、減らない。
誰にでも、いわゆる前置きとしてよく使う表現があると思う。
わたしの場合、それがいわゆる「いわゆる」なのだ。
効果としては、それまでの話をまとめたい、視点を変えたい、
別の何かに例えたい、そういうことを狙っている。
狙ってるんだけど、そうそううまくいくものでもない。
まとめるどころか、さらに枝葉末節に突入したり、
視点も変えたはいいが、あまりに変えすぎて、見てねーよ、
それって、という場合もある。
例えもぜんぜん例えになってないなんてざらだ。
じゃ、何で使うの?なんだけど、誰かが言ってたな、
いわゆる「方便」だって。
自分の頭の中に浮かんだことをいきなりポンと出す前に、
ワンクッションおくわけだな。それが、「いわゆる」なんだ。
別に「いわゆる」である必要はないんだけど、
ま、わたしにとっては、リズムがあうっつーか、
ま、いわゆる、そういうことだな、わはは。
16日~18日までの3日間、天王寺公園で開かれている
タイ・フェスティバルに連れと行ってきた。
去年どこかのブログにその様子が楽しそうに書かれてあったので、
今年こそは行ってみようと前からチェックしていた。
天気が心配だったが、何とか持ちこたえてくれた。
まずは天王寺公園の入り口で入園料を払う。
このフェスティバル自体は無料なんだけどねぇ(^^;。
全部で30店ほどの屋台が公園の両サイドに出ており、
順番に回ってみた。ほぼ8割方が食べ物の屋台。
メニューもほぼどこも似たりよったり。
各種カレー、トムヤムクンなどのスープ、パンナコッタ、
タイ風焼きそば、ソーセージ、生春巻きなどなど。
値段もほぼ500円均一。
入り口に近いタイの食料品の出店で、トーストココナッツ、
マンゴーチップ、えびチップを買ってみる。どれも一袋100円。
早速トーストココナッツの袋を破って食べてみる。
これはココナッツを薄くスライスして、トーストしたものらしい。
まぁなんとこれが大ヒット。すっきりとした乾いた甘さがいい。
帰りしなに、もう一度寄って、5袋買ってしまった。
そうそう。このお店でくれる紙袋が、またいい。
真っ赤な紙袋にタイの台所というロゴ入り。

ビールは、チャンピービールとシンハービールを2缶買って
飲み比べてみた。シンハービールは日本のビールに近い。
軽くて切れのある感じ。チャンピービールは、
それに比べると少しこくがあるが、おとなしい感じ。
わたしはチャンピービールが好み。
あては、結局どこも一緒だろうということで、
会社の近くの「あいタイ」の屋台で、揚げ物セット
(揚げパン、揚げ餃子、揚げ春巻き)と、タイ風焼きそば、
ソーセージを買って、そこらへんに適当に座り込んで、
酒盛り開始。天気も暑くもなく寒くもなく、いい感じ。
奥のステージでは、ムエタイのエキジビジョンもやっており、
リングアナ役のタイ人のおっさんが、やたらとテンション高くて、
可笑しかった。
いやー、なかなか楽しめた。連れも気に入ってくれたようで、
最後は腹ごなしの運動もかねて、家まで1時間弱歩いて帰る。
通勤電車の中で、なにやら一生懸命に、
日誌のようなものを書いている女の子がいた。
何の気なしに、目に入ったものを追っかけていると、
どうやら、介護実習の様子を書いているのが分かった。
ははーん、介護士の資格を取ろうと勉強中の娘なんだな、
と思いながらも、その字は、丸っこい、いかにも幼い字。
ほんと申し訳ないんだけど、もし介護されるとしても、
遠慮したいなぁ、なんて思ってしまった。…ごめんな、彼女。
そいつがいるだけで、いい。
全部受け入れられる、そんな想いが、自然とわいてくる。
たまにしか会えなくても、会ったとたん、
会えなかった時間が消えてしまう。
そして次に会えるときまで、一緒に過ごしたひと時が、
朝起きるたびに甦り、心を満たしてくれる。
でもできるなら、ずっと一緒にいたい。。。
今まで生きてきた時間よりも短くなった残りの時間。
その時間の少しでも多くをそいつと過ごしたい。
ふと気付けば、手の届くところに、いつもいる。
声の届くところに、いつもいる。
臆病なわたしは、そいつのいない空間に向かって、
きょうもまた、語りかける。
じゃもうダメなんかも。。。
ここのところ続発する飲酒運転による悪質な事故を
見聞きするにつけそう思う。
わたし自身今どき珍しく運転免許を持っていないので、
自らが運転することはないが、同乗者として、
関わることがないとはいえない。なので少し考えてみた。
まずハードウェア的観点。
これはアメリカではあるらしいが、
簡易のアルコール検出器と車のキーを連動させる仕組み。
キーを入れても、アルコール検出器でアルコールが検出されると
車のエンジンが始動しない仕組み。
これはハードウェア的にはそんなに難しくないだろう。
アルコール検出器の精度とかに問題があるようにも聞くが、
まずは導入してみること自体にある程度の抑止効果が
あると思う。
続いて制度的な観点。
要は車の絶対数、運転免許保持者の絶対数を、
減らす方向に持っていく案。
これは即効性はないかもしれないが、
今後地球環境への観点からも、ありかもしれないとは思う。
例えば、運転免許獲得コスト、あるいは保有コストを、
増やすとか。車両税以外に、運転免許保有税のようなものは、
どうだろうか。
モラルだけではもう持たない感じがする。
車は凶器である、を基本認識として、
脱車社会を模索する方向がいいのでは、と思う。
文楽人形は3人で遣う。
両手で人形の足だけを遣う「足遣い」10年。
右手で人形の左手を遣う「左遣い」15年。
最低で25年修行して初めて舞台で顔を出し、
左手で人形の首と右手を使い全体を動かす「主遣い」。
そんな文楽人形を遣う人間国宝吉田蓑助さんが、
今週号のアエラの現代の肖像で描かれている。
舞台中に脳出血で倒れ、口がきけず右半身不随となった。
そこから一緒に人形を遣ってきた弟子たちと妻とともに、
壮絶なリハビリが始まった。
空気が抜けるほど右手で握られた軟式テニスボール。
名前がいえなくて泣いた。
そして8ヵ月後、舞台復帰。まさに執念。
「30年かかって僕が編み出したものを一瞬に教えたら
彼のためにならん。彼も30年かけてあみださなくちゃあかんのや」
人の成果だけを知ったところで、それはそれだけにすぎない。
そこに積み重ねられてきた時間こそが大事なんだ。
だからこそ自分でやるしかない、そう教えてくれる。
「わたし一人では吉田蓑助にならんのですわ」
多分誰もがそうなんだ。自分ひとりでは自分として存在し得ないのだと。
アンドリュー・J・サター『ユダヤ人の頭のなか』に、
こんなフレーズがある。
「どうやったら知恵と見識と理解を得ることができるか?」
「よいセンスとよい判断によってだ」
「ではよい判断はどうやったら手に入る?」
「たくさんの経験によってだ」
「たくさんの経験を得るには?」
「まずい判断によってだ」
成功から学べること以上に失敗から学べることは多い。
なぜなら、成功の理由は分かりにくいけど、
失敗の理由は明らかだからだ。
成功は回りくどいけど、失敗は、直、即だ。
失敗は腐れ縁の友達とおんなじだ。
いい加減縁切りたいんだけど、いつのまにやら、
そばにいる。「仕方ねーなー」と苦笑いしながら。
ま、大事にしてやるか。
最寄の駅の交差点の電信柱に、迷い猫の張り紙があった。
家族同然の黒猫とのこと。謝礼の額がすごい。10万円。
連絡先として携帯番号も書いてある。
この10万円というのが、猫の価値なのか、
猫への思いの価値なのか、それは分からない。
分かるのは、子猫を殺す作家の気持ちより、
よっぽど分かりやすいってこと。
日本はある意味、21世紀に入って、世界とリンクしていない。
そんなことがある雑誌に書いてあった。
ある種「ユートピア」だと。
世界同時多発テロ、イラク戦争、イギリスの液体爆弾騒ぎなど、
世界は相変わらずきな臭い。
でもその異臭は、我々には届かない。
映像や音でその衝撃は伝わりはするが、
身体の中まで入り込まない。染みてこない。
でもこれって、日本でも同じこと。
毎日のように悲惨な事件が起こり、
わけの分からないことが続発している。
そのどれもが、所詮他所事なのだ。
自分の身に降りかからぬ限り。
感覚は確かに張り巡らされるのだろう。
空も時も越えるのかもしれない。
でもそれに身体はついていけない。
相変わらず、座って半畳寝て一畳がいいところ。
夢を見た後の寝汗、それが現実なんだ。
今週号のアエラの表紙を飾っている、
未来学者アルビン・トフラーが、
小泉首相に会ったときの話が、載っていた。
小泉首相が、国民はある程度の痛みに
耐えなければならない、と主張するのに対して、
氏は、「耐えたその先にはどんないいことが?」
と聞いたという。
そのとき、首相の口からは、何も語られなかった。。。
財政改革には、お金がかかる。
もちろん無駄な支出を削減するのはもちろんだが、
それでも足らない部分は、増税しなければならない、
だから、国民みんなでその痛みを分かち合おう。
なるほど訴えるものはある。
確かに、そうだよな、とは思う。
ただ、その痛みを耐えた先に、
われわれには何が待っているのか、
何の希望があるのか、
それを語ってくれる政治家は少ない気がする。
今、毎日のように、どこかで親が子を殺し、
子が親を殺している。
そんな日本という国の未来の希望は、
いったい誰が教えてくれるのだろうか。
誰も教えてくれるもんじゃない、
自分で考えて掴み取るもんだ、
そういう思いもある。
でも、どこかで、ビジョンがほしい、
大きな方向性がほしい、
そう願っているのもまた本当なんだ。
知らないことは何かを知れ
-Andrew J.Sutter『ユダヤ人の頭のなか』
何を知らないかさえ分かってれば、
それを分かるすべはいくらでも見つかる。
PMPでも、「既知の未知」やら「未知の未知」という
概念が出てくる。
それぞれ、リスクマネジメントの考え方なのだが、
「既知の未知」は、どんなリスクかは分かってるが、
それが起こるかどうかは分からない。
「未知の未知」は、どんなリスクかも分からないし、
それが起こるかも分からない。
いずれにしろ、自分が、何が分かっていて、
何が分かっていないかを、常に分かっていさえすれば、
何とでもなる、そういう健全さを感じる。
将棋の羽生さんも言ってる。
好きなことをやっているときの集中力は途切れないと。
これはこないだのPMP試験のときに実感した。
4時間200問の間、自分としては、
集中が途切れた感じはなかった。
一回の休憩もはさまず、ぶっ続けでできた。
試験が好きなんじゃなくて、
やはり自分の興味のある分野だからだろう。
PMBOKというプロジェクトマネジメントの知識エリアが、
自分の好みにはまったんだろうと思う。
論理的、システマティック、PDCAなどなど。
どうやら、やる気であるとか、根性であるとか、
心の領域に踏み込む前に、
もっとこう、この通りやってみて、その上で、
心のあたりに踏み込んでいこうよ、
そんな感じが好きなんだな。
知識偏重なのかもしれないけど、
やはり知ってると知ってないとでは、
土台の部分で、大きな差があるように強く感じる。
上に積み重ねていけるかどうか、そのあたり。
論理として積み重ねていけるなら、
例えそれが崩れても、また、一から、
積み重ねていけばいい、そう思える。
積み重ねるのは自分なんだから。
あ、そうそう。
PMP受験で一つ。
途中やっぱり疲れからか、
どうしても問題文に集中できないときがあった。
読んでるんだけど、全く意味が頭に入ってこない。
そんなときは、先に回答の選択肢を読む。
そこから、問題文に還ると、すっと頭に入ったものだ。
考えてみれば、正解が書いてある試験なんだな。
だったら、答えから問題をたどるっても、ありかな。
そればっかだと、思い込みの罠に、
はまりやすいかもしれないけど、
少し問題に集中できないときには、
試してみる価値はあると思う。
この時期コンビニでよく買い物をする。
そんな時レジでお金を払う段になって、
小銭がジーパンの前ポケットにあることに気づく。
多分大丈夫、それぐらいあったはずだ。
ジーンズのポケットに手を突っ込む。
ところが、携帯も同じポケットに突っ込んでいた。
汗ばんだ手は、なかなか目的の小銭に届かない。
レジのお兄ちゃんが少しイラつき始める。
後ろに並び始めた気配もある。
こういう時焦りはろくな結果を生まない。
案の定、携帯を取り出したときに、一緒に、小銭も落ちる。
あとでいいやと、残りの小銭を数えると、
なんと足らない。あわてて落ちた小銭を拾う。
結局それでも足らない。。。
かばんの奥底から札入れを出してレジを済ませた頃には、
手は汗でべとべと。後ろに並んだ行列はとっくに、
別のレジでさくさくとこなされていく。
あ。ローソンパス出し忘れた。
作家の坂東さんの子猫殺しが批判を呼んでいる。
いろんな考え方があるのだろう。
それをどう表現するのも自由だし、
表現されたものをどう思おうとこれまた自由。
ただ、その場面を思い浮かべると、うすら寒い。
ぞっとする。それだけは否めない。
という表現は、天文ショーにぴったりだ。
ショーというと怒られるかもしれないが。
太陽系の惑星が3つ増えるかもしれないと、
話題だったのも束の間。
今度は今惑星である冥王星が、
格下げされるかもしれないとのこと。
そもそも惑星の定義は、
夜空を彷徨って見えるところから、
つけられたとのこと。
それで行くと、肉眼では見えない、
土星より遠くの星は、みな惑星の定義から、
外れていることになりそうなんだけど、
そこはそれ、天王星も海王星も、
結構発見されてから歴史もあるし、
それなりの大きさもある。
だが、冥王星は、今の太陽系の惑星の中では、
飛びぬけて小さく、また、20世紀に入ってからの、
発見と歴史も浅い。
今回のきっかけになった3つの惑星候補を、
惑星とすると、今後も惑星は増え続ける可能性がある。
それを嫌った人たちが、だったら、冥王星を、
惑星から格下げしようとしたのかもしれない。
そのあたり詳しくは知らないが、ありそうな話だ。
ただこの議論に強硬に反対しているのが、
アメリカの学者たち。
なんといっても、冥王星=プルートは、
アメリカが発見した唯一の惑星なのだ。
1930年代のことらしいが、それをきっかけに、
プルートという名前は、
結構いろんなところで使われているらしい。
ディズニーのキャラクターでもあるし、
プルトニウムもこれにちなんでいるとのこと。
思い入れがあるのだ、アメリカには。
ただ、冥王星は思っているかもしれない。
惑星だろうがなんだろうが、今も昔も、
オレはここにいるんだと。
仕事が延びて水道橋のホテルに泊まった。
翌朝、チェックアウトして駅に向かって坂を下っていると、
下から若い男がこっちに向かって歩いてくる。
髪の毛はあまり整えられておらず、
メガネをかけた少しオタクっぽい風貌だが、
シャツにスラックス、肩にはショルダーバッグと、
まぁ、普通の勤め人の出勤姿に見えた。
だが、彼は普通ではなかった。
ふと、社会の窓が全開なのに気づいた。
続いて、そこからなにやら、黒っぽい肉が見えた。
顔を見ると、なにやらうれしそう。
少し離れてすれ違ったあと、振り返ってみると、
同じように、彼を避けながら、振り返る人が見えた。
この暑さに、頭が沸いたんだろうか。。。
変なものを見てしまった。
目が穢れた気がしたが、そんなときには、
ちゃんとそのお返しがあるものだ。
本社で打ち合わせを終えたあと、新幹線で大阪に戻るとき、
品川駅で、それを見た。W-ZERO[es]だ。
わたしより少し若いくらいだろうか。
キーボードを引き出した状態で、
なにやら両手スタイルでポチポチと打っていた。
そそられる大きさだ。
思わず自分が使っているシーンが浮かんでくる。
そういうものは、今までは、必ず買ってきた。
今回もそうなるはずだ。
そう遠くない頃、ここで購入報告をしているかもな(笑)。
クマのプーさんに、こういう一節がある。
コブタとプーは、夕方の金色にかがやく、光の中をかんがえにふけりながら、いっしょに家のほうへむかって歩いていました。 ふたりは、ながいこと、なんにもいいませんでした。
が、とうとう、コブタがいいました。
「プー、きみ、朝おきたときにね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」
「けさのごはんは、なににしよ?ってことだな。」と、プーがいいました。
「コブタ、きみは、どんなこと?」
「ぼくはね、きょうは、どんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーは、かんがえぶかげにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。
A.A.ミルン、石井桃子訳『クマのプーさん』
いつの時代も、世界のどこでも、幸せは同じ形なのかも。
毎週のように、親が子を殺し、子が親を殺す。
男は女を監禁し、女は男を突き落とす。
目の前をいろんな悲劇が通り過ぎていく。
でもそれらはわたしを傷つけない。
自分には起こりえない、ありえない話に過ぎないのだ。
本当にそうだろうか。
偶然、幸運にも、そうなだけに過ぎないのではないか。
世の中は、確実に狭くなってきている。
隣の家のラジオがうるさくて寝付けないように、
中東の戦火が、キャベツの値段を上げ、
お好み焼きを断念させる。
すぐ近くに恐怖は迫ってきているのかもしれない。
これだけ情報があふれているのに、何かが届かない。
そんな気がする。
何かは分からないが、きっと大事なものだろう。
でも、分かったとして、何かが変わるのか。
分かるのが怖い、そんな気もまたするのだ。
なか卯に券売機が導入された。
それがどうしたというわけじゃないんだけど、
なんか違和感。最初は気づかなかった。
店員さんに言われて、気づいた。
ボタンが多くて、何を食べたいのか、すぐには決められなかった。
前はこんなことはなかったのに。
結局牛丼並み。そういえば、それを食べるつもりで入ったんだっけ。
見てると、けっこうわたしみたいな客が多い。
言われてはじめて気づくのだ。
まだみんな慣れていないらしい。
食べながら、セットものは券を2枚買わなきゃならなかったのか、
そうなると、セット価格じゃねーよな、とか、
やけに、カレー系が充実してたよな、とか、
いろいろと気になってきたが、またでいいや。
ここのところ毎週のように東京出張がある。
当然東京で食べることになる。それもほとんど外食。
麺類が好きなんで、ラーメン屋へはよく入る。
東京は有名なラーメン屋が多いので、
そういう店に行ってみたいというのは、
あるんだけど、わざわざ電車に乗ってまでは、
この暑い中、気力はなく、そうなると当然、
近場で目に付いた店に入ることが多い。
まずは、飯田橋のラーメン屋「響や」。
ホテルの近くに食べるところがなかったんで、
飯田橋の駅の近くまで歩いて偶然目に付いたお店。
食券を買ってコの字型のカウンターに着く。
買ったのは、こがし正油ラーメンとチャーシュー丼。
店内のポスターからすると、味噌ラーメン系が売りのようだ。
ただあまり味噌ラーメンは好きではないので、しょうゆを選んだ。
出てきたのは、黒っぽいスープに、見た目ゴムっぽい麺。
どうやらこがし正油というのは、ねぎをこがしたねぎ油を、
しょうゆに混ぜて、スープにこくを出しているらしい。
それはいいんだけど、決定的にダメだったのは麺。
見た目ゴムっぽいが、食べてもゴムっぽい。どうも好みじゃない。
具としてのチャーシューもなんかペラペラで、いただけない。
ただ、チャーシュー丼は美味しかったけど。
そばは東京のほうがうまいと思っている。
なぜだか分からないけど。
立ち食いそばといえば、富士そば。
ということで、朝から、特製冷し富士そばなるものを食べた。
大量の天かすがのっている。かき混ぜたら、少し丼からこぼれるほど。
他の具は、甘く煮付けたうす揚げ、温泉玉子、カニかま。
それらがちょっと甘めのだしのかかったそばとからんで、
なかなか侮れない。C/P的にも、なかなかのものだ。
少し東京を見直したかもしれない。
単純なもんだ。
台風7号が接近しつつある中、新幹線で横切った。
窓から見た空を見て思い出した。
小学生の頃描いた空の絵だ。
あの頃は、真っ青の空というのが、
どうしても描けなかった。
水彩絵具の青単色を使うんだけど、
薄める水の量だったり、
パレット上のほかの色と少し混ざったり、
また、筆自体からも、他の色が溶け出したりで、
なかなか空が真っ青にならなかった。
どこを見ても、同じ色の連なりなんかない、台風の空。
30年ぶりの空の色。
昨日の夜東京駅で、豚しょうが焼き弁当を買った。
社内で食べようと包装を解くと、目に飛び込んできたのがこの日付。
そう、賞味期限・・・。
わたしはいったい何を食べさせられたんやろ?
恋とは、自分の想いと相手の想いを天秤にかけることなのかもしれない。
自分に傾けば不安だし、相手に傾くと、申し訳ないと思う。
天秤で正しく測るためには、どちらか一方の重さが正しいものでないとダメだが、
相手の気持ちはもとより、自分の気持ちすらも、時に分からなくなるんだから、
結局のところ、気持ちの重さなんてものは、はかりようがない。
にもかかわらず、知りたいと思う。
比べることで、少しでも近づけるなら、傷ついてでも、知りたい。
釣り合うことが幸せなのか、傾きのあるほうが、燃えるのか。
人それぞれだろうけど、今日もまた、そっと天秤の行方を見守る自分がいるのだ。
用もない電話が苦手だ。
何話すんだ?
ちょっとした沈黙が申し訳なく思えて、
話そうとすると、向こうとかぶったり。
会社にかかってくる電話は躊躇なくとる方なんだけど、
自分の携帯にかかってくる電話は苦手だ。
また、かけるのはもっと苦手だ。
用があるときは仕方ないけど、
何も用がないのに、でも寂しくて、とか、
声が聞きたくて、なんてのは、たとえそういう時があっても、
電話はしない。
向こうの時間を縛るのが嫌。
メールと違って電話は、出てくれることを期待する。
繋がりたいという想いが直接伝わる。
特に携帯になってから、
着信表示があるんで、余計に、掛けにくくなった。
自己主張しすぎる気がして。。。
暴力的に、どんどんドアを叩きながら、
「オレだよ、オレ」って言ってる気がしてしまう。
でも、携帯を持たない勇気はない。

無印で買った帆布製のショルダー。ちょっと出かける用に。セカンドバッグだと手がふさがるんで自転車にはあわない。でもこれだと、自転車のときはもちろん、ちょっと出かけるときも、携帯、財布、文庫本、傘ぐらいは入りそう。たすき掛けすりゃ、手も空くし。
今読んでいる山田ズーニーさんの本のタイトルは、『17歳は2回来る』だ。以前読んだ、たしか、 田口ランディさんのエッセイか何かだったと思うが、それには、「29歳がひとつの大きな転機」とあった。
どちらも、それなりに、うなずける内容なんだけど、いまいちピタッと来ない感じがあった。それが最近分かったような気がする。 なんのことはない。自分の一度目の嵐が、また同じ時間経ってやって来るんだ、と。たとえば、それが、高校2年生あたりだったとすると、 17歳は2回来るし、中学校3年あたりだと、29歳で転機が訪れる。
それでいくと、わたしの場合、一度目の嵐は、23歳。だとすると、2度目は、46歳、あと2年か。なんか今の状況から考えると、 予感めいたものはある。まだここで書いていたら、そのとき読みに来てやっていただければ、ありがとさんです。
ところで、3回目はあるんだろうか?
今週のアエラのお気に入りの人物ドキュメンタリー「現代の肖像」で、浜田真理子さんが取り上げられていた。フォークシンガーとあった。 いまどき珍しいと思った。でも、なんか、ジャズシンガーとかというより、ぴたっと来る感じがある。
扉のページの自転車に乗ってる姿もらしい。その自転車がブリジストンってのも、これまたいい。 普通のOLとしての生活が正しく表れているなぁといったら怒られるだろうか。
以下そのアエラの記事からメモ。
面倒くさいという理由で、有名になるチャンスを断り、計算して歌っている、と、その雰囲気からすると、意外な言葉を口にし、 自分の中の自分の冷静な目を持っている。そんな浜田真理子さんが、ますます好きになってしまった。
この第一位が、前の人が使った後だと、洗浄したときのかけらとかが、ノズルに付着していたら気持ち悪いから、らしい。
これ聞いたとき、笑いを通り越して、なんか腹が立ってきた。そこまで考えるか、普通。っていうか、これが普通の考えらしい。となると、 洋式トイレの便座に何のためらいもなくケツを直に置くわたしは、多分握手もしてもらえないだろう。
直接なら大丈夫で、むしろ間接の方が、嫌悪感が大きいってのは、一体なんだろう。見知らぬ何かに対する警戒心? 視覚も聴覚も今や信用ならない時代に対する最後の砦としての皮膚感覚への依存?そう考えると、むしろ原始時代の感覚へと戻りつつある?
「なんとなく嫌」ってのが、嫌。
「近頃の若者は、…」とか「最近の年寄は、…」とかは、時代に関わらずよく耳にする言葉だ。どんな時代にいようが、 どんな環境で過ごそうが、同じってことは、結局、時代や環境に左右されることのないもっと根本に根ざしていることを表すような気がする。
そう思ったのは、池上永一『シャングリ・ラ』のこういう一節だ。
老人たちは歳をとるたびに自らが迷信深くなっていくのを止められなかった。(中略)そして彼らが若かった頃、 やはり年寄りたちは迷信深かった。そういう非科学的なものの言い方はやがて廃れていくものだとばかり思っていた。 しかしいざ自分たちが年寄りになると、いつか見た臆病で非科学的な物言いをする老人になっていた。 生きている間に事物の最初から最後までを見届けることは不可能だ。自分たちが接する情報は長い時間の中のほんの刹那に過ぎない。 見通しのきかない恐怖を埋めるために、人は物語を生み出す。老人たちが好んでこんな物言いをするのは、彼らの人生が晩年にさしかかり、 結末を見ずに死んでいくことがわかってきたからだ。
人の一生は長いようで短い。どこを基準とするかでその長さは変わる。この世の全て、といっても、それは自分が生きている時間軸の中だ。
過去から連綿と続くときの流れからすると、ほんの一瞬だし、そこでの知識や経験なんて、実にちっぽけなものだ。全ては知りえないし、
生きれない。そしてそれが分かっているからこそ、逆に、かけがえのない人生なんだと思えるのかもしれない。
池上永一『シャングリ・ラ』より。
ecology と economy は technology で融合する。(中略) Teconology
今日から自然は人間活動に完全に取り込まれる。歴史は今日ひとつの節目を迎えた。長い間、 人間は自然との間でジレンマに苦しんでいた。自然を征服しながらも恐れ、畏怖し、それでも破壊をやめられない。 エコロジーで生きたければ人間は野生動物に戻るしかない。エコノミーだけだと地球はやがて住めなくなる。
これを10歳の少女が言うのだ。国家の外務大臣に向かって。しかしそういう状況も含めて、彼女の言っていることは、 今のこの現実からさほど遠くない延長線上にある気がしてならない。
なかなか使うのが難しい言葉の一つだ。うつ病の気のある人に向かって言うと、ズバリ過ぎてしゃれにならないし、 がんの告知を受けて落ち込んでいる人に向かって言っても「人の気も知らないで」と、逆効果間違いなしだし。。。
ところが、今この言葉がなにやら科学的に検証され、裏付けられてきているとの記事が、今週号のアエラに載っていた。 以下リード゙を中心にメモ。
ってことなんだけど、やっぱり、TPOは難しいようで。。。
PMBOKの品質に関するパートはさしずめ名言集だ。以下メモ。
などなど。
先週号のAERAより。ソ連崩壊により、「冷たい戦争」は終わったが、その代わりに「冷たい平和」が始まった。
「冷たい戦争」の「冷たい」は、爆撃による炎の熱さこそないものの、抑止力といういわばにらみ合いがもたらした。しかし、 「冷たい平和」の「冷たい」は、無関心だ。無関心の冷たさだ。自分たちの国や地域以外には全く関心がない、 自分たちさえよければそれでいいという、エゴによる冷たさだと思う。
そして、たちの悪いことに、無関心からは何も生まれない。
って言うほど大げさなもんじゃないんだけど(^^;。
アマゾンで買ったのがこれ。

うまい!
よい
ろ過時間ほんとに3分?
なかなかいいです。泡がききそうな感じw。とにかく大阪の水は、カルキ臭くって。いつもミネラルウォーターを買うわけにもいかず。 今は、これでご飯を炊いてるんだけど、心もちふっくら炊けてるような気がしないこともないってことで。
心に響いた言葉を一つ。
人の目というが、それは人の目じゃないんだ。人に見られている、と思っているときは、 自分の心が人の目のかわりをやっていることで、つまり、キミが人の目と思っているのは、自分の”目”なんだよ。
岡本太郎
愛用している、ほぼ日手帳の7月6日のページの一番下に載っていた。この日めくりメモ帳というべきほぼ日手帳には、 毎日の1ページの一番下に、ほぼ日のコンテンツから選ばれた一言が載っていて、これがいい味なんだなぁ。 この手帳を毎年買っている大きな理由の一つだ。
そう、気にするのは人の目じゃない、自分の内面なんだ、自分自身に問いかけながら、進んでいこう。
「ちょっと席を移ってもらっていいですか?」
ってよくお店の人に言われる。どうも言いやすいキャラなようだ。まぁ大抵お礼はもちろん、時には、 なんかサービスで出てくるときもあるしね(^^;。値段をまけてもらったことはないけど。。。
金がないから。って書くと終わっちゃうんで、つらつらと。
要は背負う借金の大きさと、そこから得られるメリットが釣り合わないと思うからだ。
一番は場所に縛られること。家の器は、気に入らなきゃ、建て替えたりできるけど、場所はそうはいかない。ここでいう場所は、 家の立っている土地だけでなく、回りの環境含めてのことだ。
例えば30年ローンで土地付き一戸建てなりマンションを買うとする。分かりやすくいうと、 30年はそこから動かないと決めたってことだ。でも30年、長いよ~?その間に、近所にどんな人が引っ越してくるかとか、 どんな建物が建つかとか、もう予測不可能なことが目白押し。嫌なことがあっても、まず我慢しなくちゃならない。「逃げる」 という選択肢に大きなコストがかかってしまう状態になる。
ある程度の期間自分の状況を固定できるというのは、安心なんだけど、それが長期にわたる場合、固定すること自体にもコストがかかるわ、 そもそも固定することのリスクが大きくなる可能性もあるわってことで、先が読めない中、変化に柔軟に対応でけへんのちゃうんってことで、 家は買わない。
ただ、買えない理由の方が、もっと深刻だったりするんで、考えたくないというもあったりするのが、いとおかしw。
先日とある団体のセミナーに参加した時に感じた感想。
時間が合わずに、最後の団体の部会活動の発表会だけを聞いた。テーマは今流行のWeb2.0的サービスを実際に作ってみました! ってことで、その部会のメンバーが、試行錯誤の末、作ったサービスをデモしたり、苦労話が中心。
はっきり言って、仲間内の自己満足という感じがありあり。会場で聞いている人たちも、どちらかというと、 開発者サイドの人たちが多いようで、これまたいわば、仲間内。
ただ、こういう自己満足というのは、わたしは必要なステップだと思う。他の人たちと同じ目的で一つのことを成し遂げていく中で、 自分の役割を全うしたときの達成感。「いろいろ苦労したけど、やってよかったよなぁ」いわば頑張った自分を褒める気持ち。自己肯定感。
いろんな自己啓発本やビジネス書なんかにはよく、「満足するな。満足するとそこで終わってしまうから」 なんて書いてあったりするんだけど、これは、中抜きされているんじゃないかな。「満足すると終わり」じゃなくて 「満足してそこで終わったらダメ」ってことだろうと思う。「満足する」こと自体は悪いことじゃない。 ただそこで留まって次に行かないのが問題なんだろう。
で、この「次に行く」ってのは、そんなに難しいこっちゃない。だって、普通さぁ、満足したら、その余韻をかって、 次に進みたくなるだろ。「豚もおだてりゃ木に登る」っていうぐらいだしw。満足できないことでの悔しさをバネとして次に向かうよりも、 ずっと楽ちんだと思うんだけどなぁ。
ってことで、若者たちよ、十分に自己満足に浸ってくだされ。そしてそのまま自然に次の一歩を踏み出してくだされ。そして、 その足跡が道になるとき、その道の向こうには、「むこう側」の世界が開けている、そんな気がする。
会社の方から受験対策セミナーを受講するように案内があった。どうやらこのセミナーの受講自体が、受験資格に相当するとのこと。 いい商売だこと。
それにしてもたった5日間のセミナーで果たして受かるんやろか?ま、その内容なんかは、また追々と。
並べて書いてみると違和感がある。実際この言葉の後には、それが両立する皮肉な社会とある(AERA '06.6.19「現代の肖像- 小宮信夫-」)。
危機と認識される状況がある。まだ現実化していないこの危うい状態を、何とか現実のものとしないように、いろいろと知恵を絞る。 その中で様々な悪戦苦闘があるだろう。にも関わらず、その危険性が少しずつでも減っていく。そうした体験が感動を呼ぶ。
おそらく「危機」には、人を一致団結させる力があるのだろう。一致団結して困難に立ち向かう、 そこに生まれるストーリーが感動を生むのかもしれない。ただ、そこにはなんだか危うさが漂う。感動は確かに人を動かす。 でもそれははかなく移ろいやすい人の心に基づくもの。だからこそ、感動を何らかの目に見えるアウトプットとして残すことが肝心だと思う。 その積み重ねが、危機のレベルを下げていくのかもしれない。
特に女性のセルロイドメガネに弱いっすw。
ってことで、今一番のお気に入り。
このブログのテーマなんだけど、これって、「ほぼ日」のパクリ。文法的にはもちろん少しおかしいんだけど、 語呂のよさというか、そこから広がる思いにひかれて、使わせてもらってます(って別に許可を得ているわけじゃないんだけど)。 そんな思いについて、本家で素敵なフレーズがあったので、ここに。
人は、ひとりずつみんなちがうけれど、
孤独にぽつんといるわけじゃない。
つながりのなかで、それぞれを生かしていける。
どんどん好きになっていく言葉だ。
404 Blog Not Found:編集者はえらい、という話 より。
情報化社会というのは、捨てる情報が減った社会のことなのだ。
氾濫する情報に溺れるな、なんて言うけど、氾濫するのは、自分のキャパを超えているからなわけで、氾濫を食い止めるには、 自分のキャパを大きくするか、やってくる量を減らすしかないわけで、自分のキャパを大きくするってのは一朝一夕にはいかず、結局、 量を減らすしかないんだけど、考えてみると、氾濫は、勝手に向こうからやってくるものをコントロールできないから起こるとすると、 その手のプッシュ型の情報をとりあえずは遮断してみるしかないのかも。思いつくのは、テレビを見ない、携帯解約あたりか。
でもその結果の隙間を埋めるのはやっぱり情報だったりして。。。結局逃れられないのかもね。なんつっても、 情報で修飾されてるとはいえ、「社会」なんだし。
何もかもが、意図的にせよ、無意識にせよ、選択の結果であるということを受け入れざるを得ない、そのことに納得した上での格差社会は、 「悪い」と決め付けるべきものではない。
404
Blog Not Found:過ぎたる機会は及ばざるがごとしか
結局のところ、我々が受け入れるのは、「納得ベースの格差社会」 なのではないだろうか。持てるもの、持たざるもの、ではなく、持とうとするもの、持とうとしないものによる格差なら、 それは悪いとは言い切れない。
ズバッと言ってくれている。大きく同意の頷きの後、同じく、
もう一つ指摘しておきたいのは、支出の巧拙もまた能力だということだ。いや、私にいわせればそちらの方がずっと重要な能力だ。 金をきちんと遣えない者に大金を渡すのは、金を遣える者に金を渡さないより罪深いことだと私は思う。バブルがなぜ発生したかといえば、 前者のケースが増えたからではないか。1万円の遣い方しか知らぬ者達に、一億円を手渡してしまったからではないのか。
いっそ能力で選別せねばならぬのであれば、作る能力よりも遣う能力を吟味すべきかも知れない。
いかーん、まさに「お金を遣う能力」が低いわたしには、耳が痛い。。。いずれに転んでも、 格差受け入れざるを得ないわたしではある(^^;。
「おまいらやっかんでんじゃねーよ。儲けて何が悪いんだよ?!悔しかったらやってみろよ。でもまぁ、これですっきりしたやろ?! もうこの辺で勘弁してや。二度と出てこないからさ。」(一部心の叫びw)
村上氏ぶってたねぇ。とても犯罪者とは思えない会見だったな。ああいう風に言っちゃ却って反感買うっての、わかってるんだろうけど、 もう言わずにおれないってところか。
「儲けて何が悪い」=「お金が全て」。村上氏の言うこととホリエモンの言うことは同じことだが、順番からして、 ホリエモンが村上氏に影響されたってところか。やはり噂どおり、彼がヒルズ族のマネーゲームの指南役と言ってもいい存在だったんだろうなぁ。
それにしても、ホリエモンにしても村上氏にしても、傲慢で自己中で、ってこれはまぁ、誰しもあるところではあるんだけど、 そこに巨額のお金が絡むとなると、世間がほっとかない。イコール検察がほっとかない。ほっとかないはいいんだけど、 結局検察は逮捕して立件して起訴したら上がりなんだなぁ。犯人がどうなろうが、またその犯人が釈放されたあとの社会がどうなろうが、 知ったこっちゃないんだろうなぁ。この二つの事件を見てると強くそう思う。「次だ次!」きっともうターゲットを探し始めてる、 そんな気がする。
「調子こいてんじゃねーぞ、成金がぁ!」ってな品のない叫びが聞こえてきて仕方がない。
ホリエモン、そして今度は村上ファンドが特捜の捜査対象になった。こないだ読んだ佐藤優『国家の罠』にあった、「検察は世論の目線で動く」的な現役検事の言葉がよみがえる。
星野さんの「今に天罰が下る」発言があったが、検察があれに触発されたわけでも、また星野さんが今回の動きを事前に察知して言ったわけでもないだろうが、あれを聞いた人で、「良くぞ言ってくれた」と、拍手喝采した人も多いんじゃないだろうか。わたしはそこまで言うかと思ったけど。
ただそういう雰囲気に対して、これまた多くの人が、「まぁ、あんまりいい感じしないよなぁ、村上ファンド」とか「なんかズルくねぇ?村上ファンド」とか思ったりしたとしても、何の不思議もない。どころか、このあたりの思いが世論の中心だと思い定めた検察が動いた、というか動いても世論の反発なし、と見たとしても、これまた何の不思議もない。まぁもちろん、ライブドア事件の一連の捜査からつかんだ決定的な証拠あっての今回の捜査だろうけど。
そして村上氏、どうやら罪を認めたようで。やっぱり賢いなぁこの人。一線を退くらしいが、それは露出しないということだろう。もともとファンドマネジャーって、裏方的な仕事がメインだろうから、そういう意味では、これからは、マスコミに露出するような動きはせず、本来のファンドマネジャーの仕事を粛々とこなしますってことかな。
これまた『国家の罠』だが、「本当に賢い人はさっさと罪を認めて次に備える」らしいから。どうやら村上氏、世論の恐ろしさをあらためてかみしめた上で、その移り行く速さを十分に読んだ上での今回の結末かと。
それにしても、最近の特捜の捜査が、言うように「世論ありき」なんだとしたら。日本の世論がそういう検察の動きのトリガーとなっているとしたら。そして、世論というものが、wisdom of crowds なんだとしたら。あんまり信頼したくないなぁ、日本という国を。。。そしてこれは、自分たちにはね返ってくるんだろうなぁ。。。
うちの部署もそうだが、ほとんどの権限は部長が握っている。というか、部長からすると、握らされている部分も多いかもね(^^;。 予算はもちろんのこと、勤怠の届けの最終捺印まで。
特にわたしの部署は、部長が同じ部署の課長から昇格したところなので、ほとんどの課員は、もともと部長が見ていたメンバーで、 おまけに仕事に関しても、そこで扱っている商品は、もともとわたしも関わっていたとはいえ、わたしよりもはるかに長く深く携わっており、 お客さんに関しても、細かなところまで把握している。営業もだから最終的には部長に頼る。(って、コリャ愚痴だわな(^^;)
ただこういう部長の下に直接メンバーがぶら下がる形は、いわば、流通でいうところの、産直方式と同じで、現場の声が直接権限者に届く、 また権限者も現場の細かなところまで目が届く、という意味では、効率的ではある。現場も管理者が複数かつ階層をなしていたら、 うっとうしいことこの上ない。報告などできれば一回で済ませたいのは誰しも思うところ。
じゃ中間管理職たる課長は、何すれば?これはもう、メンバー、上長(この場合部長)が仕事をしやすい環境を作る、 いわばサポート役に徹する。そして、指導育成に力を注ぐ。これしかないだろうと最近思うようになった。
でもそれじゃ、いつまでたっても部長になれないのでは?と思うかもしれないが、そこはそんなに心配していなくて、 例えば予算を作ったり、経営層への報告をしたりなんかは、今の部長を見てると分かるが、部長になればよっぽどのことがない限り、 できるようになる。そう、役職が人を作るってことだ。
「闘う部長」に、「育てる課長」。バックはお任せ、ってことで、頑張りますかw。
送信サーバーへの接続が不調で、いったん使い始めたものの、しばらく使っていなかったThunderbirdをまた使い始めた。
会社の隣のmw君が、同じくThunderbirdを使っており(というか彼のおかげでわたしも使い始めた)、 同じ現象に見舞われたらしい。彼はわたしのようなへたれとは違い、それを見事解決してくれた!ブラボー!
どうやら原因は常駐のウィルススキャンにあるらしく、そこの大量メール送信に対するチェックに引っかかることがあるらしく、 そこのチェックを外すとうまく行くらしい。
そこで試してみると、どうやら問題なさげ。祝!雷鳥復活w。
自分の道を思い描くとき、一つの言葉との出会いが、大きな意味を持つことがある。出会いといっても、 その言葉自体は既知のものであることが多く、そういう意味では再発見かな。
「メンター」。今回の言葉はこれだった。辞書で調べると、トロイ戦争を描いたホメロス作の長編叙事詩「オデュッセイア」 の登場人物から来ているというのは初めて知った。良き指導者、優れた助言者、恩師。そういう意味の言葉だ。
MPM。Mentor of Project Managerの略だ。いわゆる、PMのメンター。 いろいろと苦労の多いPMという役割の人たちの、相談役でありたいとの願いから、思いついた。まだまだその役を演じるだけのスキルはないが、 そこを目指して、日々を過ごしていきたい。
今時分のいるIT業界(というとおおげさだが)での自分のキャリアの到達点を、この言葉がインスパイアしてくれた、という思いだ。
たまに歩いていると、つんのめる。つんのめるというのは、振り出した足がかかとから着地せず、つま先が先に着地してしまうことで、 身体が想定している歩幅が出ないため、その分前に重心がかかった状態のことだ。
わたしの場合、疲れていると特によくつんのめる。足が上がってない。そういう時は意識して、かかとから着地するようにする。 そうすると、足に適度な緊張がかかって、「お、運動してる」って気になる。
歩くのは全ての基本だなぁと感じる次第w。
今週号のAERAより。この記事はなかなかいいフレーズが多かった。
1.幸福≒√(経済力×健康×人間関係)。経済力がないと生活も出来ないが、健康でなければお金があっても生かせない。
健康と経済力だけあっても、「よかったね」と喜んでくれる人がいないとダメ。だから、どれかが欠けると0になる掛け算にした(山崎元さん)
2.絶対値で幸福を認識するのは難しい。どうしても何かと比べる。比べる対象は、一つは他人。もう一つは過去の自分。(山崎元さん)
3.プータン国王の提唱する「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)」。「お金があまりなくても、食べる物と家があって、
みんな心が心配ないようにする」
4.幸福な一瞬があれば、トータルでは幸せな時間。やりがいには際限がない。(小谷元子さん)
5.幸せはそこら中に合って、感じとるもの。(藤原正彦さん)
6.数学って哲学に似ている。ものごとをどういうふうに理解すればいいのか、ずーっと考え続ける。(小谷元子さん)
わたしの幸せ感は、「小確幸」(村上春樹)だ。毎日の小さいけれど確かな幸せ。たとえば、食事だったり、お風呂だったり、 仕事をやり終えた後の一杯のビールとか。それの積み重ねだと思う。
ってすすめシリーズかよ(^^;。
今週号の「AERA」での記事から。
1.墓標代わりに木を植え、墓地を自然な雑木林とする葬送の方法を「樹木葬」という。
2.大体一区画100万までで出来る。
3.人気は桜。ソメイヨシノよりオオヤマザクラ。1本の木の根元に複数の埋骨が可能らしい。これを特に「桜葬」というらしい。
桜の下には人骨があるといわれるが、まさにそれを地でいく。わたしも桜に抱かれて眠りたいかも。年に一度の「花見」 がいい供養になるかもね。
この頃、毎朝5時半に携帯のアラームを設定している。朝に読書をするためだ。わたしにとって本を読むことは、 息をするのと同じぐらい普通のことで欠かせないもの。ただ最近、年のせいか、夜遅くに本が読めなくなった。 全ての本が一気に読めるものではなく、勉強のために読む本もあり、そういう読書は、得てして眠気を誘うものだ。
そういう読書が続いたおかげで、最近本を読むペースががくんと落ちてきている。このブログも読書メモと銘打っているんだけど、 その割合も減ってきている。あれあれ、という感じだ。
そこで、夜がダメなら、朝ということ。もともと朝は強いんで、それほど苦にならない。眠い目をこすりながらと違って、 よっぽどそのペースも上がり、今のところいいことづくめ。ただ、朝は、会社へ行く準備とかで、いろいろと忙しいのも事実で、 面白いからといって、いつまでも読み続けることはできない。でもこれも考えようで、決められた時間の中で、 効率的に読むということを意識できたりもする。特に、勉強のためにする読書の場合は、これがいい感じだったりする。 まさに早起きは三文の徳だなぁ。
世界最大級のゲームの祭典E3で、全世界のメディア向けに行われたブリーフィングでの、任天堂岩田社長のスピーチに感銘を受けた。 詳しくは、こちらに紹介されている。
この中で岩田社長は、世界のゲーム人口を拡大したいと言い、特に、昔はゲームを楽しんでいたが、今はやめている人、 また一度も経験したことのない人に、手にしてもらいたいと熱く語っている。
まさに、今のわたしをターゲットにしている。ゲームウォッチに始まり、ファミコン、スーパーファミコン、PS、ゲームボーイ、GBA、 PS2と、一通り、ゲーム機を買い揃え、人気ゲームも遊んできたが、今やほんの2,3タイトル、それも、最新版ではなく、 昔のものを焼き直したものが中心だ。もう、最新にはついていけないのだ。
そのユーザー層をまさに狙い撃ちしたのが、DSであり、それを拡大しようというのが、Wiiということらしい。DSは、 Liteと共に、未だに品薄であり、わたしもまだ入手していない。もちろん、ゲーム機を扱っているところでは、常にチェックはしており、 買う気だけは満々だがw。
岩田社長の、次の言葉に期待したい。
…そんな、毎日電源を入れるのが楽しみになるようなことが実現でき
ます。 (中略)我々が目指しているのは、 「毎日が新しいシステム」です。
毎日起きると、新しい朝が来るように、常に新鮮な思い出ゲームと向き合える、そんなゲームがやってみたい。
毎日何かしら活字に触れている。軽い活字中毒だ。そんな中、ふと目にとまる言葉や表現がある。それは何も、たいそうな名文であったり、 難解な表現だったりするわけではない。その時のわたしの心に響く、とてもシンプルでさりげないものだ。
あぁ、わたしの思いが言葉になってる、そうそう、これこれ、こういうことがいいたかったんだよなぁ、と、 毎日がそういう発見で満たされていく。そうしてわたしは日々を積み重ねていけるのだ。
どちらもよく知られた外来語だ。「ガッツ」は、根性というふうに訳されることが多いようだが、元々の意味は、「内臓」 ということらしい(「ほぼ日-今日のダーリン」 より)。「あいついいガッツしてんなぁ」というのは、「あいついい内蔵しとんなぁ」ってこと。「いい内臓」って、 本質的なところで、信頼できる感じがする。うん、面白い。
で、オーデコロン。今朝の朝の情報番組(日本テレビ系「ズームインスーパー」)でやってたんだけど、「ケルンの水」ってことで、ケルンが発祥の地らしい。なんで、ケルンの水が香水なのかは知らんが。いい匂いでもしたのかな?
ガッツは本来の意味がしっくりくる。オーデコロンは、本来の意味から転化した意味となっているが、いずれも本来の意味というか、語源が分かると、面白いものだ。
アルファブロガーとして著名なR30氏の「R30::マーケティング社会時評」の記事 『技術空洞』を読んで考えたリーダーシップの意味より。
こういう30代の(経営を“見る目”はそれなりにある)それなりに優秀な若手・ 中堅社員をモチベートして会社に居続けさせるようなマネジメントというかリーダーシップというのは、 どういうものなんだろうということへの思索かもしれない。
はたとひざをうつ。これだよ、中間管理職の役目は。というか、 自分自身には何の期待もできなくなってしまったわたしの役目は。
根っこが揺るがない人はどこの国でも尊敬される。
「…でも、君はぼくたちに遠慮する必要はない。北方領土を返還しろと熱心に訴え続けた方がいいよ。 ぼくたちロシア人は原理原則を譲らない外国人を尊敬するんだ。ただし日本政府の発言要領を繰り返すだけではダメだ。自分の頭で徹底的に考えて、ロシア人の心に訴える言葉を見つけるんだ。そうすれば君の外交官としての人脈は飛躍的に広がる」
-佐藤優『国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて』
自分の言葉を見つけよう。
既にあるものを利用する。確かに効率はいいし、既にあるという安心感も得られる。だが、あるものをあるものたらしめた過程は、 手に入れることはできない。ノウハウはそこにこそあるのに。
私たちは、前の世代が作り上げてきた土台の上に自分たちの成功を 築くことを繰り返してきた結果、土台そのものを築く大切さを忘れてしまったのだろう。あるいは、種を蒔かずに長年刈り入れを続けてきたせいで、種を蒔く必要性を忘れてしまっているのかもしれない。
-スティーヴン・R・コヴィー『7つの習慣』
肝に銘じよう。
昨日朝自席で資料をチェックしていると、4月にうちの部署に配属になった中途採用の男性社員がやって来て、突然 「実は会社を辞めたいんですけど」と切り出した。
おいおい、それって普通は、「ちょっとお話したいことがあるんですけど、よろしいですか」とか前振りあるだろうよ。 そういうところでちょっと変わった子ではある。
とりあえず別室で話を聞くことに。要するに、うちに合わないって事らしい。一応「もう少し考えてみたら」と、 冷却期間をおくように言ってみるが、聞く耳持たずって感じで、「考えた結果ですから」の一点張り。どうやらもう本人の中では決めてる様子。
こういうのって、わたしは、強く慰留しない方だ。結局は本人が決めること、そう思ってしまう。責任逃れなのかもしれないが。
ただいくら本人が決めることとはいえ、こういうの聞くと、かなりガックリくる。朝一だったので、一日中引きずり加減ではあった。
人材育成の機運が盛り上がりつつある会社の中で、かなりマイナスではあるよなぁ、と、気にはなるものの、それより、 こういうときの自分のやり方というか、受け止め方が、これでいいのかってのは、何度も自問するところだが、未だよく分からない。 実際引き止めに成功したこともないし。
こどもの日に娘を連れて行ってきた。場所は神戸のポートアイランド。少し前に開港した神戸空港へ行く途中のポートライナー 「ポートアイランド南」駅すぐのところだ。というより、この駅はこの花鳥園以外に行くところがない。
しっかりとした建物の中にある、いかにも公共施設という感じではなく、どことなく田舎の単線の駅舎のような佇まいで、 どうにもこうにも仮設感ただよう施設だ。
入り口で、大人一人1500円、娘と二人で3000円を払って入場。施設の中への飲食物の持ち込みは禁止だ。 入って右奥へと進むと蓮池があり、小さい子なら上に乗れそうな大きさの蓮がある。中央は、いすとテーブルが並べてあり休憩ができるエリアで、 飲食店やおみやげ物などを売っている売店がある。娘と二人で300円のソフトクリームを買って少し休憩。 あたりで一番目立つのはレックスベゴニアの色鮮やかな大輪の鉢。
その奥には、ペンギン(なぜペンギンなのかは不明(^^;)やら鴨やらが放し飼いになっている池がある。 その池を通って正門というかわたしたちが入ってきた入り口とは反対方向になる受付付近にあるのが、目玉のフクロウゾーン。 いろんな種類のフクロウがケージの中で飼育されており、ガラス越しであるが間近に見ることができる。
そのフクロウを革の腕あてをつけて腕の上に乗せてくれるアトラクションがあり、そこには行列ができていた。どうやら、 子供たちが腕にフクロウを乗せてビビるところをカメラに収めるお父さんお母さんたちがほとんどだ。
そのあたりからは、とにかくそこらじゅうにカラフルな鳥 (一番目立つのはオニオオハシという嘴がプラスチックみたいに安っぽい黄色と赤のカラーリングの鳥)がおり、 見学者から餌をついばんだりしていて、怖いぐらいに近いところをうろうろしている。フラミンゴもいて、 その目つきの悪さには笑ってしまうほどだ。そのゾーンの終わりは、バードショップをかねたゾーンで、インコが中心。
花よりも圧倒的に鳥が中心で、とにかく鳥が好きで触れ合いたい人には1500円は安いのかもしれない。食べる鳥は好きでも、 余り触れ合いたくもないわたしたち親子のような人には、1500円というのは、高い。 たぶん長い間あの場所にある施設じゃないような気がする。その分、 話題になっている間にできるだけ稼いでおこうという感じの高めの値段設定なように感じるのは、わたしだけだろうか(^^;。
神戸花鳥園
神戸市中央区港島南町7-1-9
TEL:078-302-8899 FAX:078-302-8222
http://www.kamoltd.co.jp/kobe/
真っ暗闇というわけではない
薄暗い、先は見通せないけど、足元はまだ見える
そんな明るさであり暗さだ
不思議とあせりはない
希望もない
かといって絶望しているわけでもない
まわりを見れば、輝きも見えるし、底知れない闇も見える
ふと手を見れば、向こうが透けて見える
そんな自分になりたい
あ、これが希望か
と、小さく驚く
こういうふうに毎日を生きていきたい
ただそれだけの思い
その重さなのか軽さなのか
問いを重ねるごとに
確実に増えていくものもあれば
減っていくものもある
いつの日かゼロになる
そんな日を夢見て
気配りではなく、気配だ。出来るなら気配を消したい。どんな雰囲気でもどんな場でもどんな空気にでもすぐに溶け込んでしまいたい。 いてもいなくても気付かれないほどの存在感でいい。
最近何かを読んでいても、そういうような人物が出てくると、入り込んでしまう。例えば、今読んでいる山田詠美『風味絶佳』の「間食」 に出てくる、寺内君のような。
もうね、多分、世間と向き合うだけの心の力が磨り減ってきているんだと思う。別に疲れているわけではないんだけどw。
あまり変わらない気がして。20年30年先には変わってるんだろうけど、わたしが生きて社会にコミットできるぐらいの間は、 流れに乗ってずるずると行くんだろうなぁと。後で振り返ると、その変化の幅にびっくりすることはあったりするかもしれないけど、 その間は気付かないほどの、そんな程度の変わり方だろうなぁ。
起きるのは大体6時から6時半の間。朝食はトーストにコーヒー、それに必ず何か動物性淡白が取れるもの一品をつける。
晴れてれば、会社まで自転車通勤。雨または夜雨の予報のときは、地下鉄で通勤。
出社時間は8時半から9時の間。定時は9時半。昼は朝通勤途中にコンビニでおにぎり1個買って、それで済ます。一週間に一度ぐらいは、 新地でランチ。大体1000円前後。
会社を出るのは、6時半から7時の間がほとんど。たまに、8時を回ることもあるが最近はまれ。帰りが電車の場合は、 車中でたいてい読書。ほとんどの場合週初めに買ったAERA。たまに、そのとき鞄に入っている文庫や新書。本を切らしたことはない。
夜はたいてい家で簡単に作る。麺類が多い。食後は、ノートPCで、iTunesで曲をランダム再生しながら、日記を書いたり、 ブログを書いたり。それが終わると、最近は数独を少々。シャワーを浴びて、腹筋30回程度、軽くストレッチ。最後は眠くなるまで読書。 図書館で借りてきたものを優先的に読む。大体11時半から0時の間に就寝。
ま、平日は大体こんな感じ。可もなく不可もなし。
やせたなぁ。。。でもまぁ、なんかすっきりしてええんちゃう?ただ、どうやらまだまだ懲りてなさそうではある。 それもまた彼らしいといえばそうなのかも。
一色まこと『ピアノの森』12巻と、川島誠『800』を、新大阪の書店「談」で購入。さっそく出張の新幹線の中で、『ピアノの森』 12巻は読了。単行本で出るまで長く待たされるわりに、読み終わるのはほんとあっという間だ。
今日心に残った一節。
「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。 それがグーグル開発陣のミッションなんだよね」
(梅田望夫『ウェブ進化論』)
どうやら心の底からそう思っている、というか、そう信じるようになるような資質を持った人が、 そう信じる事のできる環境で仕事をしている、それがグーグルなんだろうなぁ。
今数独にはまってる。ご存知、9x9の81マスに、1~9までの数字を、縦9マス、横9マス、3x3の9マスのブロックそれぞれに、 ダブりなく、並べるというとてもシンプルなパズルだ。
最初の頃は、3x3のブロック内での完成を優先していた。いわば、「ブロック主義」だ。ただ、どうしてもこれだと、行き詰まりが早い。
今は、1ブロック内でのダブりなしをチェックしながらの縦並び横並びの完成を優先している。「縦横主義」だな。これだと、 縦横で2つぐらいしか数字が分かってなくても、うまくすると、絞り込むことが出来たりして、行き詰まりが遅い。 そのままワーッと一気に完成することもあったりする。
さて、やりますかw。
期待し続けるのも一つの才能なのだ。
ヘルマンは語る。
ラルフもわれわれ同様、愚か者になる覚悟はできていました。オリジナルな研究をやるということは、愚か者になることなのです。 諦めずにやり続けるのは愚か者だけですからね。第一のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアはコケる。 第二のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアもコケる。九十九番目のアイディアが湧いて大喜びするが、 そのアイディアもコケる。百番目のアイディアが湧いて大喜びするのは愚か者だけです。しかし、実りを得るためには、 百のアイディアが必要かもしれないでしょう?コケてもコケても大喜びできるぐらい馬鹿でなければ、動機だってもてやしないし、 やり遂げるエネルギーも湧きません。神は愚か者に報いたまうのです。
~サイモン・シン『暗号解読』より
仏教の教えらしい。
地位、名誉、お金…。欲望の元を手放したとき、俗世間のあらゆるしがらみから解放され、逆に心が満たされる様をいう。
こういえば何だかありがたい教えに聞こえたり、高邁な思想のような感じがしたりするんだけど、わたしの年からすると、 人生から降りることとほぼ同義かと。結局覚悟がものを言うんだよなぁ。
中途半端で迷い続けるわたしには、まだまだその覚悟、できないようだ(^^;。
この4月から、担当する部署が変わった。ただそこのメンバーは、以前担当していた商品の開発者たちなので、ほとんどが顔なじみ。 その商品の担当から外れたのが、5年ぐらい前なので、それから新たに加わったメンバーは、さすがに、詳しくは知らないが。
以前担当していた製品から、前に「e」がついて、WEB対応版となり、分からないことだらけ。以前あった機能がなくなったり、 当然なかった機能が追加されたりで、見積もりもままならない。
そしていくら顔なじみとはいえ、5年のギャップは長く、以前と同じノリでは厳しいかもしれない。みんなそれなりに成長しているし。 でもしょせんよく知り知られている間なんで、そんな急にとってつけたような対応もなんだかなぁってことで、結局は同じノリなんだな、 これがw。
基本は前任者の管理スタイルや手法を引き継ぎつつ(うまく機能しているようなので)、 雰囲気は徐々に違和感のないように浸透ってことで、結構びくびくもんで、日々過ごしている小心者だす。
昨日1週間ぶりぐらいに、Google Mapにアクセスしたが、地図の右下隅に、中心付近の少し縮尺の大きな地図が表示されており、 拡大部分が矩形で囲まれている。その矩形を動かすことで、長い距離の移動が簡単になっている。ほんとよく考えてるわ。
困ったもんだ。先日乗り換えたメーラーThunderbirdの調子が悪い。メールの受信は出来るのだが、送信が出来ない。メッセージによると、SMTPに接続できない様子。しかし、何度設定を見直してもおかしいところはないし、つい最近までこれで問題なく送信できていたのに。。。
メーラー自身立ち上げなおしたり、OS再起動もやってるんだけど、効き目なし。一旦設定を削除して、再度設定しなおしても、これも効き目なし。あと残された手段は、再インストールぐらいだけど、めんどくせー。
メールを送れないと仕事にならないんで、以前使っていた Becky で送信してみると、これがまた何のエラーもなく、送れる。どうなっとるんじゃ?こうなると、Thunderbird側の問題と切り分けるしかない。
それにしても、1週間ぶりに使ったBecky。やはり、手になじむわ。こういうこともあろうかと、メールデータを消さずに残しておいて良かった。
今のところ、突如おかしくなったので、また突如直るかもしれないとの期待のもと、やりたかないが、Thunderbird と Becky の併用。両方で受信して、Becky で返事を書く運用。同じようとのソフトを二つ立ち上げている、それもメーラーなんで常時。ってことでメモリも無駄使いだし、本音は早く直って欲しいんだけどなぁ。
…再インストールしかねぇか。。。
読んでいた雑誌に、小さい頃の遊びの思い出の記事があり、その中に、校庭で足で地面に土俵を書いて遊んだ相撲の記述があった。 わたしらも小学生の頃、よくやったものだ。その頃の小学生は、結構みんな相撲のことをよく知っていて、 休み時間の遊びで相撲は割りと普通だった。
うちのクラスでも何人かの相撲好きとよく相撲をとったりしていたが、みんなそれぞれお気に入りの力士がいて、 その得意技などを真似たりした。わたしの場合、その頃の力士で一番印象に残ってるのが、長谷川という、 四股名らしくない普通人の苗字の技巧派力士だった。確か関脇が最高位だった記憶がある。
その長谷川が得意なのが足技で、特に外掛けが得意だったのを覚えている。それがかっこよくてよく真似した。ある日の休み時間のこと。 相撲好きの同級生といつものようにすぐに校庭に飛び出し、いつもの砂場前の場所に、足で地面に即席の土俵を書いて早速取り組み開始。 わたしの相手は、クラスでもがっちりとした体格で力も強かったiwt君。大体、ほとんど一方的に押し出されるか、四つに組んでも、 力ずくの投げで振り回されるのが常で、勝ったためしがなかった。その時も、立会いでがっちりと四つに組まれて、ベルトを強くひきつけられ、 いつものように振り回されるような投げを打たれた瞬間。わたしの左足が、ものの見事にiwt君の右足に絡みつき、その瞬間、 iwt君は背中から地面に倒れた。外掛けが決まったのだ。まさに「小よく大を制す」で、快感だったなぁ。
今考えると、割と手軽にできるし、ほんと身近な格闘技だったよなぁ、相撲って。ま、今やったら多分どっか怪我するだろうけどw。
この間の宴会の締めでやった手拍子。半分ぐらいの人が知ってたらしいけど、わたしは初体験。どういうものかというと、 拍子自体は三々七拍子なんだけど、それをやる指の数を増やしていくというもの。つまり、
ってこと。やってみると分かるが、だんだんと音が大きくなる。それで「さざなみ」というらしい。ニッポンチャチャチャといい、 このあたりの工夫はすごいなぁw。
何だか落ち着かないのは確かだ。
といっても実際に映ったことがあるのは、あの阪神大震災のときだった。隣のマンションが潰れて犠牲者が出たときに、 その家族のインタビュー(中学の同級生)のときに流れる被害映像として、付近の様子とともに、映し出された。さすがにこのときは、 嬉しいという感情ではなく、あまりに身近な場所だけに、半ば信じられない思いで見ていたのを思い出す。
で、何で近所が映ると、落ち着かないのか。やはり、テレビの向こうに世間を見るからだろう。世間が注目してるんだ、 という思いがそうさせるんだと思う。それと、共有の喜びってのもあるだろう。よく、飲み会なんかで、生まれが近いとかで、 ローカルな話題で盛り上がることがあるのと同じだ。「知ってる、知ってる」ってやつだな。
ま、願わくは、楽しんで眺められるような話題であることを。
デトックスといって、「解毒」ってことらしいんだけど、いろいろやり方があるらしい。例えば、
「毎日水を3リットル飲む」であるとか、「半身浴」「岩盤浴」といったお風呂系、他にも、 コンビニなんかでも最近デトックス効果をうたったサプリメントまであるらしい。要は、体内から、水分を出すことで、 その水分に溶けた毒素を一緒に排出するって寸法らしい。
今の季節、鼻水ダラダラなんだけど、これも一種のデトックスかな?だとしたら、毒素もいいけど、花粉も一緒に出してくんないかなぁ。。 。切に。
土曜日に近所の万代池公園に花見に行ってきた。ここは、万代池のまわりに桜の木がうわっており、そこかしこで、親子連れや、 友達同士のグループが思い思いに陣取って、桜を楽しんでいた。

公園に向かう途中に、スーパー玉出によって、ビール数本と缶チューハイ、あてに、鳥の甘酢煮、五目ひじき、 ゲソ天やかにクリームコロッケなどの天ぷら数種といったお惣菜と巻寿司、つまみとして、やはり外せない柿ピーとポテトチップスを購入。 公園の近くのたこ焼き屋「正ちゃん」で、ほかほかのたこ焼きを買って、これで準備万端。
場所を探しながらゆっくりと池のまわりを散策。橋のそばのちょっとした広場の石の階段に陣取った。ちょうど1本の桜の根元だった。 見上げると、満開の花が重なり合って、いい風情。この日は風が強く、食べさしのお惣菜に花びらが舞い落ちたりして、彩を添える。


買ってきた食べ物をぺろりと平らげた後、後片付けをして、池の真ん中の橋を通って反対側に渡り、池の回りの桜を見て回る。 水面に映える桜というのはやはり絵になるもんだ。風に舞う花びらも花吹雪として、しばらく舞った後、水面に散らばっていく。 良くぞ日本に生まれけり、と桜に酔いながら、公園を後にした。
今図解にはまっている(^^;。ちょっとした打合せのときとか、自分の考えをまとめるときとか、本を読みながらであるとか、 なにかしら、考えるときに極力図で表そうとしている。その中で、一つ自分なりに気づいたことがある。
わたしの場合、最初は、どうしても、図そのものに意識がいってしまった。人の話の内容やら自分の考えの中身の前に、 それを図でどう表そうか、そっちの方に、意識が行ってしまうのだ。具体的にいうと、例えば、キーワードを書くにしても、 キーワードとキーワードをつなぐ線のパターンであるとか、位置関係をどうするとかに、気をとられて、 話の流れを追えなくなったりしてしまうのだ。これでは、本末転倒だ。話の流れを追いやすく、理解する助けとしての図解であるのに、 それを妨げてしまう。
これを防ぐのは実は簡単で、まず、キーワードをどこでもいいから書くのだ。で、つなぐのは後。位置関係も後。まず中身ありき。 これに気をつけてからは、不思議なことに、自然とキーワード同士がうまく繋がるような位置関係に配置できたり、キーワードを囲むパターンや、 線のパターンなんかも、自然とうまい具合に、決まりだした。
まずは素材ありき。それをどう料理していくかは、素材を眺めながら、考えていけばいい。
土曜日に待ちに待ったブツが届いた。前の日というか朝まで友人と飲んでいて、寝てしまうと起きられない可能性があったんで、 そのまま起きていた。昼過ぎ。家の前に車が止まる音。続いて扉をあけるような音。きたか!?呼び鈴が鳴らされる。来た!
すぐに「ハ~イ」と声を出しながら、階段を下りて玄関のドアを開ける。○○急便のお兄さんが目の前に。その後ろには、 巨大なダンボールが。げげっ。このダンボールは結構なゴミだわと瞬間にして思った。が、 配達するだけで開梱後のダンボールを引き取ったりはできないとのこと。こういうサービスってオプションでつければ、 結構金だす人いると思うんだけどなぁ。
階段を登って上に持って上がっても、一人で下ろせる自信がなかったんで、そのまま道に置いたまま、開梱作業に取り掛かった。 玄関のドアを開けたらもう公道なんで、人や車の通行の邪魔にならないように、手早く作業する必要がある。 縦1メートル横2メートルの巨大なダンボール。カッター片手に、梱包を解いていく。徐々に現れる本体。いやいやかっこいい…。 覆っていたダンボールを細かくカットし、ビニール紐で括って後始末。各パーツを覆っていた細々とした梱包もすべて取り外す。 ほれ込んだ深いグリーン色のボディーが遂に白日の下に!!って、ちょっとオーバーだけどw。
ROVER AL-CRB7006M G。クロスバイクといわれる自転車だ。イギリスのROVER社の製品。車体のグリーンは、 レーシンググリーンというらしい。
早速サドルに跨ってみる。このサドルもなめし皮っぽくていい。ちょっと前傾姿勢。ちょっと高目か。後で調整しよう。 早速ちょっと軽く近所を走ろうと、ペダルを踏みおろす。と。カスンといった感じで抜ける。あれ!?もう一度。カスン。同じ。前に進まない。 構わずこぎ続けると前には進むが、とてもまともな状態ではない。後ろからガチャガチャと嫌な音もする。整備不良、それとも、まだなんか、 着いてる?なにしろ、今まで自転車なんて買ったその場で乗って帰るってパターンだったから、まともに走らない状態なんて経験なし。
とりあえず、一旦降りて、仔細に点検。…あれま。チェーンが外れてる…。おおぼけw。すっかり舞い上がってたんやなぁ…。 多分運送中の事故に備えて、あらかじめチェーンを外していたんだろう。知っている人からすれば当たり前のことなんやろうなぁ。
おおぼけかました後、チェーンをはめて、いざ出陣。いやー、軽い。スイーッて感じ前に進む。 ハンドルをひねってのギアチェンジもスムーズ。いい感じだ。
懸念だった置き場所も、階段にうまい具合に立てかけられた。これも軽さのおかげだ。 ただ玄関の出入りに少しコツがいるようになったがw。
近くの自転車屋でワイヤーロックとライトを買ってきて取り付け。なんと言っても盗難は嫌だからなぁ。これで準備万端整った。 思わずこれからの自転車生活を思い描いてにんまりw。
小橋昭彦さんのメルマガ「今日の雑学」より、以下メモ。
まさに母子の絆は強しってところだろうか。やはりここでも男は孤独なのかなぁ。
オウム事件の一連の被害者とその家族の方々及び、麻原自身にとっての最大公約数として、もう死刑でいいんじゃねーか、と思う。
もう麻原、生きてても仕方ないだろ。まともに罪を償ったり、更生できるなんて思わん。だったら、個人としては誰も手を出せない以上、 このまま国に殺してもらうのが一番いいような気がする。
先々週の「情熱大陸」で、初めて知った。 対象を下からへらへらしながら見上げる様子と、手元に描かれる見事な人物画の、あまりにアンバランスな対比がとても印象的だった。
例えば、ある中華料理店の女性店員へのインタビュー。その見かけ(はっきりいってむっちゃ怪しい(^^;) から最初は警戒心バリバリだった彼女も、彼が色鉛筆を取り出し、スケッチし始めると、瞬く間にそこに現れる自分の顔に驚くとともに、 すっかり打ち解けていく様子が、実に劇的だ。
住居は雑居ビルの屋上。よくいえばペントハウスw。そこにもう20年近く住んでるというから、まぁ、ぼろやの類だ。
下田さんが絵を描きながら放浪の旅をした様子を書いた本『PRIVATE WORLD』が紹介されるや、番組終了後、 すぐアマゾンで検索してみた。待ちが4~6週間とあった。一刻も早く手に入れたかったんで、その場では、注文せず。
次の日、梅田に出る機会があったんで、ジュンク堂と紀伊国屋に寄って探してみたけど、いずれも在庫切れで、出版社在庫のみらしい。 ほとんど幻の本とかしてるっぽい。まぁ、時間かかるけどアマゾンで買うかと、そのときはそうガックリもせず、帰宅。
次の日。アマゾンで検索。!!!何とマーケットプレイスのみの扱い。それも、値段が4,000円越え。やはり同じような人が多いんだ。 さすがに値段を見て躊躇。他もあたってみようと、いろいろ検索してみるが、どこも似たり寄ったり。あきらめかけて、 マーケットプレイスで購入しようと思いつつ、紀伊国屋Webのアカウントを持ってることを思い出し、だめもとで検索してみたところ、 在庫あり(4冊)との表示が!もちろん定価。その場で即注文。在庫があるんで、1週間しないうちに届くとのこと。久しぶりに、 待ち遠しい1冊なった。
*追記。先程アマゾンで見たら、 マーケットプレイスも売れたようで、「現在在庫切れです」との表示。紀伊国屋Webも今朝確認すると、 在庫2冊。欲しい方は、すぐGOだなw。
チャリ通を始めて、会社までのルートをあれこれと探索している最中なのだが、そんな中、気になる場所がある。
阿倍野筋を北上して、阪神高速の高架に沿って左折し、26号線目指して西に走る途中。阪神高速が北の方にカーブしている手前あたりに、そこは現れる。
「飛田新地」だ。名前は関西人として何度も耳にしたことはあるものの、実際どこら辺にあるかは、興味もなかったこともあるのだが、まったく知らなかった。それが偶然会社帰りに目にしてしまったんである。しかもこっちは自転車。ちょっと寄ってみることなんてのは、すぐ出来てしまう。
いずれも午前0時を回ってから前を通り過ぎていたので、未だ立ち寄ってはいないのだが。実際行ってみるかどうかはともかく、後ろめたい楽しみが出来たのは間違いないw。
別に物事をきちんと整理するという有益な癖でないのは残念だ。いっぺんに食ったり買ったりするということだw。たとえば、宴会などで飲んだり食ったりするとき。こういう時ってたいていは上司がいればおごりだったり、最低でも割り勘だけど、まず自分が払った分より飲み食いする自信がある。いわゆる「ここぞとばかり」の状態に自然に入れる。遠慮というものを知らないのだ。
飲み食いだけでなく、本を買うときもそうだ。たいていは図書館で済ます。ベストセラーなどは、気になりはするが、しばらくして落ち着いてから、図書館で見つかったときに借りて済ます。ところが、どうしても手に入れたい本があったりすると、書店に行くことになる。そしてそういうときに、お目当てのもの以外の、前から気になってた本の文庫だったり、ずっと読んでる漫画の続きだったり、ちょっとアンテナに引っかかった本を、これまた「ここぞとばかり」に買ってしまうのだ。
先週の土日がちょうどそんな日だった。飲み食いでいえば、土曜日に知人の家に御呼ばれに行って、すき焼きをたらふく食って、ワインをこれまたぐびぐび行って1本空けて、そのあと、近くのイタリア料理屋で、ピザとオニオングラタンスープ(いつもこれを頼む)をたいらげ、その後、カラオケ三昧。終わってみれば、午前3時。
本の方も、土曜日に、梅田の紀伊国屋で、『本の雑誌4月号』を皮切りに、あさのあつこ『THE MANZAI②』、日曜日に、新大阪の書店「談」で、『大きく振りかぶって⑥』、『「坊ちゃん」の時代』、『Life Hacks PRESS』と立て続けに購入。
メリハリのある人生ではあるw。
小学6年の娘の卒業式に行ってきた。彼女の学校は高台にあり、家からだと20分ぐらい、それもほとんど上り坂。特に、学校にいたる一本道の坂は、急勾配で、大人でもきつい。そこを、1年の頃から、自分の背中より大きなランドセルを背負って、雨の日も風の日も、夏の暑い朝も冬の寒い朝も、6年間通い続けてきた。
彼女の学年は2クラス70名強で、わたしたちの頃に比べるとほぼ5分の一ぐらいだ。そういう意味では非常にアットホームな感じのする小学校だ。事実、彼女は同学年の子を全員知っている。6年間の間に、一緒のクラスにならなかった子はいなかったらしい。
式は、体育館で行われ、正面には日の丸。国歌斉唱もあって、その後一人ひとり壇上に上がって卒業証書を受け取る。この日のために買った一張羅に身を包み、娘も名前を呼ばれた後「はい」としっかりと返事をして、卒業証書を受け取った。もうあとはどうでもいい、そんなもんだw。その後は、歌中心。とにかく歌の多い式で、全部で4,5曲は歌ったんじゃないかな。今はこれが普通なんだろうか。
何だがネガティブな話だ。校長先生の話を聞きながらそう思った。話自体は、見かけも考え方も性格も、みんな一人ひとり違う、だから、自分にとってはなんでもないことでも、他の人はそう思っていないかもしれない、嫌な思いをしているかもしれない。それを理解して認めてよう、そういう話だった。確かに、いじめだとか、危険な大人たちであるとか、彼らを取り巻く環境は、決して安全でもないし、明るいものばかりではない。また、いろんな誘惑も多い。今まで生きてきた時間よりはるかに長いこれから先のことについて、いろいろ注意したい。ありがたいことだとは思うし、その気持ちは分からないではない。
わたしは、なにより、今日卒業する子供たちに、まず、よく頑張ったねとほめてあげたい。これから先は長いけど、よく今日まで頑張ってきたねと、その存在ごと認めてあげたい。そして、これからも、ここまで頑張ってこれたことを自信にして、前へ進んでほしい。きっと出来るよ、ここまで来れたんだから、と送り出したい。そう思った。
式が終わって体育館の壁に張ってあった娘の将来の夢の版画を見た。コックさん。彼女の夢は料理人。どうか笑顔で人においしい心のこもった料理を作ってあげられる、そんな人になれるといいね。
卒業、おめでとう。
まず私の思う、システム開発の理想についてメモしてみる。
自立した個人、その個人同士の共通のルールに則った緩やかな連携。社会のあり方においても理想的な気がする。
そういう理想の社会のシステムにおける縮図、それが、SOAの本質ではないだろうか。
はてなの近藤社長のブログのこの記事「jkondoの日記 - 息継ぎは多い方が楽に決まっている~水・日曜休みのススメ」に、禿同。
この週の中日である水曜日に休むというのは、実にいい感じ。一度やってみるとすぐ感覚として分かると思うけど、 1週間7日という長さを、5日連続の動と2日連続の静に分けるより、2日連続動いて、1日休んで、3日連続動いて、 1日休むというサイクルのほうが、気分的にははるかに楽。
例えば、月曜日から金曜日まで働くとき、花金という言い方がある。これは、休日である土曜日を前にして、 今日さえ終われば明日は休みという、終わりが見えることでの心の余裕を表している。花木と言う言葉さえあった。
これを当てはめれば、働き始めの月曜からして、既に明日の火曜を働いたら、水曜は休み、いわば、花木状態と言える。 余裕を持って働き始めることができると言える。余裕を持ってスタートを切れるので、休みが水曜1日であっても、十分リフレッシュできる。 このあたりは、近藤さんも指摘されている通り。
次の木曜から土曜は、3日あるから、そうはいかないと思うだろう。と・こ・ろ・が、不思議なことに、土曜は、 今までどおり休みの感覚があって、いわば、休日出勤状態で迎える。ここで思い出して欲しい。仕事の状況がそんなにタイトでなければ、 休日出勤で結構気持ち的には楽だったんじゃねーのってこと。
実際、選択性にすれば、出社しても、普段より人は少なかったりするわけで、そうなると電話も減ったりで、 集中しやすい静かな環境が出来てたりするわけだな。で、結構仕事がはかどったりする。
ま、もちろん打合せとか相手の都合がある場合は、それに合わせる必要ってのも出てくるだろうけど、これも自然に、 休みを避けるようになってくるはず。だって、選んだ休日が違ってたとしても、5日のうち4日は、同じなんだから、 そんなに合わせる苦労ってのはないはず。
今のように土日の週休二日でも、1週おきに、水曜を有休にして、土曜出勤すれば、つきに2日あるいは3日の有休消化ですむし、 逆に有休消化促進となって、会社には喜ばれるかもしれない。
物は試し。一度お試しあれ。楽っす!
日経ITプロフェッショナル2005年10月号の有賀貞一の「IT斜め斬り」で紹介されていた、 45年前の東京海上が全社的にシステム化を推進するときの指針を抜粋。
この「機械」を「システム」と置き換えれば、今でも十分に通用する、いや、今こそ、この原則を再度かみしめる必要があるのではないか、 と。
思いつくまま挙げてみる。
ま、好きだから続くんでしょうな。
犬好きのオレにとっては、何だか嫌な言葉だなと思って、どうしてそういう風にいうのか調べてみたが、これが、分からない。
どちらかというと、犬公方綱吉の「生類憐みの令」 (特に犬をひいきしたわけではないらしい)の歴史からすると、むしろ丁重に扱われてもよさそうなんだけどなぁ。
ひとつ思うのは、やはり数が多かったせいか。食糧事情も悪かった頃、人が飢えてるのに、犬どころではないってことで、大量に死に、 その光景が当たり前のように捉えられて、犬が死んだぐらいでは、どうってことないという認識が生まれたのかな。
このあたりご存知の方、教えてください。
警察官によるファイル交換ソフトWinny経由での情報流出事件が相次いでいる。開いた口がふさがらない。そもそも違法ソフトであるWinnyを、違法とした司法サイドの人間が、たとえ私物であろうが、業務で使うパソコンに入れていること自体がありえない。
IT業界では、顧客情報の漏洩は、致命傷である。まず間違いなく信用をなくす。仕事も失う。下手すりゃ会社が傾きかねない。理由は簡単。そんな脇の甘い会社に頼まなくとも、他にいくらでも替りがあるからだ。それが分かっているからこそ、セキュリティ投資をするんである。
ところが、官の世界、特に警察は、替えがきかない。当然人は替えがきくが、組織としては唯一無二なのである。だから危機感がない。やっちまったら、あとがない、そういう危機感をもたらすだけでオレは、民営化には意味があると思う。
ふと思ったのは、取替えがきかないってことは、権力の源泉なのかもなぁ。。。
予習と復習について考えてみる。
どっちが大事か。復習である。記憶への定着という意味からすると効果があるのは復習。
例えば、間に授業を挟むとよく分かる。予習→授業→復習。予習は即ち、授業を復習とするためのステップなのだ。復習は言わずもがな。
で。落ちは簡単。予習すると復習の機会が倍になる。記憶への定着は繰り返しの回数に比例する。だから予習は侮れない。
というものがあるんじゃないかと思う。
生まれた瞬間から、基本的には、いろんなものを足しながら、あるいは、足そうと思いながら、生きる。お金だったり、学歴だったり、 仕事だったり、友達だったり、恋人だったり、家族だったり。多ければ多いほど幸せは増すと考えてきた。仕事が増えれば、 プライベートな時間は減るとか、家族が増えれば、その分責任は増すとか、当然ながら増えればそれに伴うもろもろも付いてきて、 時にはマイナスに働くときもあるけど、それはある意味仕方のないことで、「引く」という意識はない。
「引く」とは、あくまで自分の意思によるものだ。40を何年か過ぎて、大体自分の人生の行き着く先が見えてきて、 それに対する不安と期待と諦めが、それぞれ自分の中で、腑に落ちてきた気がする。その中で、 もうこれ以上足さなくてもいいやと思うようになった。というより、足してしまうと、 せっかく腑に落ちたものが元に戻ってしまいそうな気がする。これからは、引いていこう、そう思うようになった。
何をどう引いていくかは、これから歩きながら考えていこうと思うが、ある程度ロードマップ的なものはある。その中には、 世間的にはそりゃ足し算じゃねーのと思うようなもの(たとえば親の介護とか)もあるけど、オレの中で引き算の意識があれば、それで構わない。 ま、いい加減なもんですわw。
ただ、幸せと感じる、バランスを保つためには、「引く」タイミングと順番があるとは思うけど。で、最後に0で終わりたい。
矛盾。最強の攻撃力を持つ矛と最強の防御力を持つ盾。その矛でその盾を突いてみろ。うーん。。。って感じで、 あまり良いたとえとしては使われない。
でもちょっとよく考えてみよう。例えば、RPGをやるとき。主人公には、出来るだけ強い剣と出来るだけ堅い鎧を装備させるよな。 最後には大体それぞれ最強のものを装備しているはず。でないと、ラスボスには勝てない。
目指すべき方向は間違ってない。それぞれの目的で最強のものを準備する。いいんじゃねぇの、それって。要は使い方の問題。 何で自分の矛で自分の盾を突くわけ?それって、特殊だろ、使い方として。もちろん本来の使い方じゃない。相手に突き出す矛、 相手の矛を受ける盾、それが本来の姿のはず。
結局、なんか矛盾って詭弁なような気がする。
今日ガックリ来たことがあった。で、オレはどんな時ガックリくるのか、少し頭を冷やす上でも考えてみた。
具体的にはきりがないんだけど、全体として、「自己中心」的ですな。 自分に対する期待値やら自分が期待しているところを下回ったときに、ガックリくる様子が伺える。他人がひどい目にあおうが、 それが自分に対して影響を及ぼさないなら、関心を示さない、なんてことも言えるかも。。。嫌なやつだねぇw。
いつだったか、大学生ぐらいのときだったか、般若心経を覚えようとしたことがある。何がきっかけかは忘れた。 レポート用紙にブルーインクの万年筆で、いわゆる写経した。人生初写経だ。そういえば、自然と縦書きだったなぁw。右に全部読み仮名をいれ、 結構真剣に覚えようとした。おかげで、しばらくするうちに、暗唱できるようになった。それから、折に触れ唱えることがあったが、 いつのまにかそういうこともなくなり、今はもう覚えていない。とりたてて実用的な思いではじめたわけではなかったのだろう。
今週号のAERAによると、今また静かな般若心経のブームらしい。
またちょっとはじめてみようかな。
こないだ、駅を降りた後、石鹸を切らしていたのを思い出し、百均ショップ「百円領事館」へ行った。百均ショップは大好きでたまに行くが、いくとつい目的以外のものを買ってしまう。本当に消費者心理をウマくつくもんだ。これ考え出した人ってやっぱりすごいわ。
一番のポイントは値段を気にしなくていいということ。買物そのものに没頭できる。何を買っても百円だし、今いくらぐらい買ったのかも、買った物の数を数えるだけでわかる。お金に対するプレッシャーが驚くほど少ないのだ。ちりも積もれば山となるが、所詮一つ一つはたかが百円(されど百円ってのもいえるけどw)、ちりなのだ。積もって嫌なら、返せばいい。また今度にすればいい。今度でもやっぱり百円なのだから。
ってことで今回もポテチとキットカットをつい購入してしまう、乗りのいい一消費者なのだった。
その日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえのすべての財産と引き換えようか
わたしは一文無しになった
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえの仕事と引き換えようか
わたしは無職になった
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえのすべての感覚と引き換えようか
わたしは何も見えず何も聴こえなくなった
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえの能力と引き換えようか
わたしは無能となった
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえの感情と引き換えようか
わたしは感情を失った
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
おまえの記憶と引き換えようか
わたしは記憶を失った
次の日わたしは命を奪われた
そのとき神がささやいた
すべての人のおまえの思い出と引き換えようか
わたしは忘れ去られた
そして命を失った
今年は2006年で平成18年だ。
年明け早々、なんかの書類を書くとき、記入日の欄に「年月日」と書かれてあったんで、何気に、2006、1、5 と西暦で記入した。極自然。
ところがそれからしばらくしないうちに、今度は、「平成」と元号が印刷された後に、年月日とあった。すると、一瞬手が止まった。はて、今年は何年だっけ?なんか日付の書いてあるもの(例えば新聞)を見るのもしゃくなんで、17と書いちまった。18って書くことに、なんか抵抗あった。まだ先だろ、18はって感じ。
18に限らず、年明けしばらくは平成の年が繰り上がらない症候群だす。
昔一緒に仕事をしたお客さんに、すげー怖い人がいた。何が怖いって、顔も怖いが、態度が怖い。一言、不機嫌さん。立場が下の状況でしかお会いしたことないんで、よー分からんけど、とにかく威圧的。最初からけんか腰。言葉が乱暴とか、すぐ殴りかかってくるとか、ってことじゃねんだけど、テンションが戦闘モードバリバリ。多分、人生訓、先手必勝なんじゃねってぐらい。
はじめてその人と同じ会議の場に出た後(幸いにもその場では、オレ自身爆撃されたわけじゃねーけど、その火の粉ぐらいは飛んできた)、その人をよく知る同僚に、「すげぇなぁ。。。いつもあんなん?」って尋ねると、「んにゃ。話の分かるええ人やで」とのたまう。どうやら、懐に飛び込むと、そんなに悪い人じゃなさげな話。ははーん。はじめの印象が怖い人ほど、何気に優しい一言とか、ちょっと照れたような笑顔とかが、すんげぇリーサルウェポンになったりするという典型やな、これは。
でね。結局最後まで、怖かった印象しかもてなかったオレは、嫌われたってことでね。別にひがんでるわけ邪念すよ、ってなんて変換すんじゃ、われ。
まぁね、何が言いたいかっつーと、オレみたいに第一印象ソフトな人間は、何気に損よなぁって。ちょっと厳しいこといったり、不機嫌だったりすると(人間なんだからそういう時もあるっしょ)、すーぐ、「意外とちーせーんだな」とか「そんな人だとは思わなかった」とか言われたりしまくり。いや、ちーせー人間なんですって。最初からそういう雰囲気かもし出しとりまんがな。気づけよおまいら。いや、察してください、まじで(泣)。
だそうだ。昔(といっても4,5年前)は、これと週刊アスキーを、この系列の雑誌では購入してた。週刊アスキーの方が、名前からして、技術的で専門的で突っ込んだ分析とか多いかと思いきや(まぁもちろんそんな記事もあるけど)、どっちかというと、ASAHIパソコンの方が、真面目にパソコン雑誌してた。まぁ、ASAHI冠だからねぇ。手抜けないんでしょ。
今思い返してみて、印象に残ってる記事とか連載はというと、ひとつだけ。小田嶋隆さんの連載。でもタイトル忘れたw。そんな程度だな、うん。一応その分野で飯食ってたんで、テクニカルな面での期待はなくって、世間ではこういう具合に話題になってるのねぇ、ってことの確認メイン。
今この手の雑誌は、その手の情報という面では、スピード、深さともに、ネットにはかなわんしね。ま、啓蒙という部分ではお役目御免ということかな。
先日生まれた犬の名前を考えてくれと頼まれた。名前といっても、呼び名ではなく、血統書に載せる名前らしい。 彼女はたいした血統なのだ。父方はほとんどが、どこかの国のチャンピオンらしい。だからか、お値段も相当なものだったなぁ。
制限があって、アルファベットで13文字以内らしい。なんだか、競走馬の名前をつけるみたいだな。そういえば、 ダビスタの生産馬の名前を彼女の名前を冠にしていろいろつけたっけw。
ってことで、オスとメス1匹ずつに、それぞれ3冠をとった馬の名前をつけて送ってみた。はてさて、飼い主はどうするかな。
さっき、量が増えると、質が均されるって書いたけど、デジタルデータのいいところは、データそのものには色がないってことだな。 どんな少数意見であっても、多数意見の中に埋もれたりはしない。探せば出てくるのだ。探し方のうまい下手はあるけど。
かっこつけて言うと、「蓄積と発見」そのコストの安さだな、デジタルデータの長所でもあり欠点は。
データに色をつけるのも、重く扱ったり軽く吹き飛ばしたりするのも、全部人間のやるこっちゃね。
ネットの量は本質を暴くって書いたけど、正しくは、傾向を提示するだけで、それを本質だとか衆愚だとか決めるのは、 やっぱどこまでいっても、人間なんだな。
AERAでSNSについての特集記事を読む。主に取り上げられているのは隣国韓国のサイワールドというSNS。 登録者が1600万人というから、韓国の総人口4800万からすると3人に1人が登録している計算。ってことは、 知り合いの誰かは登録しているだろうから、SNSの仕組みからすると、全国民が登録の可能性があるということ。 まさしく国民データベースとなりうる。そうなると検索と分類が即座に可能。同時にその実施も記録に残る。 まさに人間関係の静的な状態とそれに対する動的な振る舞いがすべて情報として蓄積され、消費されていく。
SNSはその登録の仕組みとして、他人の紹介をベースにしている。つまり誰かが招待してくれないとそこに加われない。大事なのは、 何を知っているかではなく(そんなものはググればいいw)、誰を知っているかってことらしい。
紹介というある種信頼に基づく行為が、人のフィルターになっているのだ。これは、ある意味、「好き嫌い」が、 重視されるってことだと思う。普通に考えれば、嫌いな人を招くより、好きな人を招きたがる。現実世界で、 長い時間をかけて好き嫌いがある程度固定化した関係ならともかく、そうでない場合、例えば、ネット上で知り合ったとか、 現実世界でも初対面とか、付き合いが浅いとかの場合、好き嫌いは、ほぼ第一印象に、まずは大きく依存する。本来なら、そこから時間をかけて、 好きが嫌いに、嫌いが好きに変わったりするんだけど、今の時代、そんな面倒なことはしない、特に第一印象が嫌いだった場合、 よっぽど好きになっておいた方がメリットが大きい場合を除いて、好きになるために時間をかけるよりも、次を探す。だって、 あふれるほど人(アクセス可能な情報)はいるんだから。
ネット時代の時間というものは、質を深めるのに使われる前に、数や量を多くするのに費やされる。 そしてますますアクセス可能なデータ量は増えており、同時に単時間当たりに処理できる量もまた増えている、 そういう方向に技術は深まり進化している。
するってーと、どうなるか。ちょっと飛躍してみるw。対象が多くなればなるほど、少数の偏向は均され、多数の傾向に収斂されていく。 大多数の傾向とは何か。本質である。結局、量は最後に本質として現れる。
ネット時代の行き着く先は、間違いなく、人間の本質を暴きだす。そしてそれが、正しいのか間違っているのかは、分からない。なぜなら、 正邪の判断には、時間が必要なんだけど、その時間が既にネット時代には量のパラメーターとして、 それも非常にセンシティブでクリティカルなものとして組み込まれてしまっているからだ。
さて、分かったような分からないような、書いている本人も格好はつけてるんだけどw、感覚的なことでしかない。ただその感覚は、 決して悲観はしてねーんだけどね。
表と裏、陰と陽、光と影、男と女、戦争と平和、社会と個人、オンとオフ、デジタルとアナログ、夢と現実、とかくこの世は、 二項対立で語られがちだ。
そんな時たいていは、どちらか一方に属しながら、そうでない方についてあれこれ思う。自分のいる方をベースにそうでない方を考える。 そうするとなんだか、否定的に見てしまうか、あるいは全く逆に、素晴らしく正当なものとしてみてしまう、 そういうことって多いような気がする。それぞれが独立した一個の状態であるということを忘れてしまいがちになる。
確かに互いに影響しあったりというのは間違いなくある。でも、それは、他のいろんなこととも同じだ。すべては何らかのつながりはある、 その強い弱いはあるだろけど。そして間違いなく、その正反対の状態の間には、無数の状態が存在するのだ。そしてまた、 それは一時も同じではないんだろうな。常に他の状態に遷移したり、あるいは今まで全く気づかなかったような状態を作り出したり。 こう考えると、確かに生きるってことはしんどいことよなぁw。
昨日元上司と元同僚を囲んで飲み会だったんだけど、まぁ出る話、盛り上がるのは、ほとんど昔話。あのときはどうだった、 このときはこんなことがあった、そのときあの人は…、ってな具合。集まったメンバーの平均年齢は、 おそらく40を超えていたおっさん8人組だったせいもあるんだろうけど、とはいえ、65歳定年とすると、まだ半分強残ってるわけだ。えっ、 と思ってしまう。まだ半分あるんやと。何するんやろなぁってのが、実感。
若い頃は、目の前の仕事仕事で追われ、先をゆっくり考える間もなく、そしてたどり着いた管理職。若い頃に比べると、 先を考えるゆとりも出来てきたんだけど、それでも見えない先。そういうふうにしか仕事してこなかったといえば、そうなんやけど、 そうでないような仕事のしかたって、今だからいえることだったりもする。
愚痴っててもしかたねーしね、やってきたこと、やってこなかったこと、それぞれが今の自分を作ってるわけで、こっから先も、 多分おんなじ様な過ごし方やとは思うんやけど(ほれ、今さらキャラ変えれれへんしねw)、それはそれで、出来ることもあれば、 でけへんこともあるしってことで、よろしく頼んますわ、ほんま。
ってどんなもんやろ。少子高齢化社会ってことで、最近喧しいけど、確かにこのままやと、どんどこどんどこ人口減っていくやろうけど、 そもそも今の人口って、日本のいろいろな事情からして、どうなん?適正なん?それともまだ増えても大丈夫?いや~、もっと少ない方が…、 ってあんまり真剣に論議されてへん感じがする。
これって、これからどういう社会にしていくんやっちゅう、グランドデザインに関わってくると思うんやけど、ちょっと思うとこをば。
ちなみに、日本とドイツを比較してみると、
●人口 日本:127,034千人 ドイツ:82,282千人
●人口密度 日本:336人 ドイツ:231人
●国土面積(平方キロ) 日本:377,835 ドイツ:357,021
●GDP(10億米ドル) 日本:4,668 ドイツ:2,706
(上記数値は、ここを参考)
強制家宅捜索、事情聴取、そして逮捕…。この一週間はまさに、ライブドアショックが列島を駆け巡った。
おそらく今後の取調べで、事件の全容が解明されていくんだろうけど、 そんなに市場とか社会とかに大きな影響を及ぼすようなことにはならない気がする。多分これがきっかけで、今までの流れが停滞したり、 ましてや変わったりということはないだろうなぁ。もう、引き返せないところまで来ていると見るのが妥当かと。
この一連の騒動を見ていて、一番感じたのは、ほんとに堀江さんて、よくしゃべるよなぁってこと。家宅捜索を受けた後も、 各メディアの電話取材などに頻繁に応じて、その度に、結構いろんなことをしゃべっている。 そういう意味では本来隠し事のできる人ではないような気もする。しゃべりだすと、もう止まらないって感じ。まぁ、おかげで、こっちとしては、 何が飛び出すんだろうと、ある種ワクワクしてみてたんだけど。
最後、東京拘置所へ向かう車がライブ中継されてたけど、大物転落の瞬間の映像としては定番なんだろうなぁ。
夜空に煌々と明かりがついた六本木ヒルズと、闇に沈む東京拘置所の、そのあまりに鮮やか過ぎる対比が印象に残った。
結局、塀の向こうへ落ちていった堀江さんの胸中には、何が去来しているんだろう。
とは、ウォルマート創業者サム・ウォルトの自伝に出てくる言葉らしいが、なかなか含蓄のある言葉だ。自分の身近にひきつけて考えてみよう、ということなんだろうけど、オレ自身がよくやる思考法に近い感じ。
例えば、あるシステムを構築する場合、よく、業務の効率化を目的として、なんて、提案書に書いたりするんだけど、その場合、出来上がったシステムを使って業務をされる担当者の一日というものを、それこそ、端末の電源を入れて、ログインするところから、事細かにイメージするのだ。例えば、画面に向かって何か入力している最中に、電話がかかってきて、それがクレームの電話だったりして時間をとられるような場合、入力途中であっても、その状態でデータを保存する機能がないと辛いよな、とか。
結局想像力の問題なのだ。
「夢の扉」より。以下メモ。
1.気象庁にお勤めの束田進也さん38歳が中心となって、2004年に完成した、地震の揺れを直前(数秒から数十秒前)に知らせるシステム。
2.年間14万件、1日に400件の地震がある日本。
3.地震直後の小さな縦揺れとその後の大きな横揺れの時間差に注目して、全国200箇所に設置された地震計の波形のパターンから、ある規則性(ある処理を加えることにより角度が急なほど震源に近い)を見つけた。
4.このシステムの限界は、海溝型地震では有効だが、内陸直下型地震の場合、震源地が近すぎて効果が小さい。
5.2006年度中の本格運用を目指して現在協力企業・機関で試験運用中。
束田さんは、地震の研究を大学でされているときに起こった阪神大震災の現場に行って、自分の研究を何とか人の役に立てたいという思いを強く持ったそうだ。それがこの揺れの直前に時間を確保するシステムを産み出した。実際数秒ではあるが、その数秒で地震の揺れに備えて出来ることは本当にたくさんある。そしてそれは確実に地震の被害を小さくし、人の命を救うのである。
…そして、あれから11年目の今日を迎える。
『本の雑誌』2月号の特集記事で、入院したときに読む本ってのがあって、それに便乗。今まで髄膜炎で3日入院したことがあるだけで、ほとんど入院とは無縁の生活だった。その入院にしても、もう頭が痛くて痛くて、とても本読むどころじゃなかったんで、あんまり考えたことなかった。
普通入院というと、日常生活から病院に隔離され、時間が有り余るイメージがあるんだけど、実際はそうでもないらしい。やれ検温や、食事や、検査や、回診やで、いろいろイベントが多いらしく(まぁ病気にもよるらしいけど)、また、結構時間が決まってて、そんなに固まって時間がとれるわけではないらしい。
だから、時間があるときには大長編だろうってのは、ちょっと先入観にとらわれすぎ、とのこと。入院に向く本としては、
・細切れの時間の中でも読める本。例えば、短めのエッセイとか、ショートショートとか。
・退院後のいいイメージがわくような本。退院したらやってみたいことについて書かれた本とか。
・とにかく明るい本。闘病ものはやっぱまずいっしょ。
でもなぁ、やっぱり自分だったら、ここぞとばかりの長編を選ぶだろうなぁ。
候補としては、
1.司馬遼太郎の未読長編。例えば、『菜の花の沖』とか、『坂の上の雲』とかね。
2.北方謙三『水滸伝』全巻。
3.村上春樹全集。
4.宮本輝全集。
あたりかな。いや~、こうしてあげてると、入院したくなってくるよなぁw。
永井荷風『断腸亭日乗』、昭和十八年正月一日の一節。
「飯くひ終れば午後二時となり、室内を掃除して顔洗ふ時は、いつか三時を過ぎ、煙草など呑みゐる中、日は傾きて忽ち暗くなるなり」
荷風六十五歳、自炊生活だそうである。オレ四十三歳、自炊生活である。あと二十二年先の境地として、いいなぁ、こういう生活。
なんて大層なw。でも宣言すると達成しやすいってのもあるしな。
以下ちょっとメモ。
●借金を減らす。これはここ二、三年ずっと筆頭。ってことは、なかなか達成できてないってこと。シクシク。意志の弱さが出てるなぁ。
●年間100冊。雑誌除く。去年は届かなかったから、今年はなんとしても達成するぞっと。
●こっから先10年の仕事の方向性を確立する。これはそういう予感がする。せっかくそういう予感がするんで、これはもうやっちまわんとな。
●人間関係の整理。絞り込むってこと。もっとシンプルに。
さて、いくつ達成できますかね。
犬の子ができた話を書いたが、これって人に置き換えてみると結構すげー話。要は行きずりの男とやっちまって、できちまった。で、産んでみて、3ヶ月ほど育てたあと、よそにもらわれていく。そっから先は、親も兄弟も関係なく、とにかくもらわれたそこにひたすら尽くす。たくましいもんである。誰の助けもなく、一人で、人間との関係性を学んで、自分の生きていく術を、身に着けていく。
一方で人は一人では生きていけず、生きていくためには、沢山の人が必要となる。それは親兄弟だったり、友人だったり、恋人だったり、妻子だったり、職場の同僚や部下や上司だったりする。つくづく頼りない存在である。もちろんオレも生きていくのに沢山の人がいないとダメダメである。このブログに立ち寄ってくれた人もまた、オレにとっては、生きていくのに必要な人たちだ。
そんなオレを生かしてくれる人たちへ。良いお年をお過ごしください。そして皆さんにとって、そして何よりオレにとって、来年がいい年でありますようにw。
「内田樹の研究室: お掃除するキャッチャー」というエントリーに大きく頷いた。中でもこんな一節。
世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。
自分で言うのもなんだけど(でも誰も言ってくれないからなw)、オレは、前者だ。キャッチャーだ。昔は、それでも、「誰もやらないんだったら、オレやってもいいですけどぉ…」とか、オレを指名してくれオーラを出すとか、誰か他の人に決まった後から、「オレも手伝いますよ」なんて、奥ゆかしかったりしたもんだけど、最近は、歳とともに、遠慮がなくなってきたというか、そんな駆け引きめんどくせーっちゅうか、さっさと手を挙げるようになった。
これのいいところは、自己満足が確実に得られるってこと。ま、簡単に言うと、「誰もがやらないことをこのオレ様がやってるんだぜ!」ってことだな、わはは。おまけに、誰かがやらなくてはならないというコンセンサスがあるため、必ず誰かの役に立つってことが、折込済みであるってこと。人の役にたつってこともお手軽に手に入るのだ。更に言うと、結構面倒くさいんだけど、役割自体はそれほど難しくはない場合が多いこと。
さ。縁の下の力持ちは、かっこいいよ~ん。おすすめおすすめw。
元うちにいて、今知合いの家にいる犬(ロングチワワ)が子をはらんだ。
11月末頃に種(レッド)をつけて、昨日超音波検診に行ってきたとのこと。いまや犬でも超音波検診で、妊娠したかどうかをチェックするんやなぁ。
で、3匹いるって。予定日は来年1月の20日頃らしい。飼い主は戌年で、その犬が戌年に子を産む。いやいや、縁起のいいことでw。
海と山だと海が好きだ。ただ、景色として眺めるなら、山も捨てがたい。でもそれは、平地からの山の眺めに限る。近づけば近づくほど、山は岩の塊だったり木の塊だったりして、どんどん美しくなくなっていく。
草森紳一『随筆 本が崩れる』の中にこういう一節がある。
禿山の寒風山の景観は、男鹿半島の目玉の一つだが、頂上に立って四囲を眼下に収めるより、私個人は、平地からその姿を遠くに眺めやるほうが、ずんと好きだ。頂上は、いつだって、その山容を失う。
ただその景色の中に、朝陽なり夕陽なりの陽光が映る場合は、圧倒的に、海に軍配が上がる。遮るものがないからだ。大きくも小さくも全体が映るゆえだ。
昨日は東京出張だったんだけど、朝から天気予報を見ると、各地で大雪。交通情報では、東海道新幹線は、上りは京都~豊橋間徐行運転で、約1時間程度の遅れとの事。とは言え、早割を取っちゃってたんで、変更きかずってことで、予約したひかりに乗り込む。新大阪は定刻通りに発車。京都を過ぎたあたりから、窓外は真っ白。もう関が原付近なんて、ホワイトアウト状態。ようやく滑り込んだ名古屋は、かなりの積雪。こんな名古屋はもちろんはじめて。ここまでですでに1時間遅れ。本社に電話を入れて、30分ほど遅れることを伝える。
名古屋を過ぎてしばらく行くと、徐々に、雪も薄くなり、それにつれてスピードアップ。驚いたのが、富士山。ほとんど冠雪がないのだ。名古屋のあの積雪を見た目には意外だったけど、富士山にとっては、12月中旬はこれが普通なのかな。で、結局品川には1時間遅れ。
この後、明日の佐世保行きに備えて、福岡博多泊。部長たちも一緒だったんで、福岡事務所の面々と全部で5人で天神で飲み。最後は、近くのラーメン屋「一心不乱」で締め。黒こくとんこつラーメン600円。細麺がグッドでした。ごっそさん。
さて、新幹線に乗り込む前に、新大阪の駅の書店で、『本の雑誌』1月号を購入。この号には、2005年のベスト10が載っているんだけど、なんとまぁ、ものの見事に1冊も読んでまへん(^^;。オレの読書は、結構これをネタにしてんのに。とはいえ、逆に言えば、まだこれだけ面白い本を読めると言うこと。年末年始は、最低でもこの中の半分は読むぞーっと。
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